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今後の私と家族の課題


1.発見


 最近、あるツイートを見ていて、「これだ!」だと気づいたのだが、大人になってモヤモヤしていたことで、親からどんな影響を受けて、今何に苦しんでいるのかを探ることだった。
 
ネグレクト、身体的、心理的虐待、放置などの以外にアダルトチルドレンになってしまったケースが、上記記載の虐待など以外に「過干渉」や「過保護」で大人になって苦しんでいる状態である。
 具体的には…小学生から10代の大半に、学校に通い始めると、学校はある意味一つの社会構造になっている。その当時に社会構造などの意識は本人には当然ない。自分以外の教師や生徒と出会い、勉強することや遊ぶことを覚える。そして親密な関係に徐々になっていく。だがこころは未成熟の状態である。そして寂しい気持ちなった時にこころの拠り所を探す。それは、「母」か「友達」なのかという二者択一を迫られる場面がある。私の小さい頃を振り返ると、その選択は「母」だった。母も何でも話してもらいたかったのだと思う。こころの拠り所は未成熟な子供にはまだ受け入れられるキャパの大きさもない。だから「母」に頼ってきたのだと思う。

2.   葛藤しながら生きる


 子供の頃から「なぜ?」と自問自答していたことがある。それは母と衝突した時に、「説得する」ことができなかったことである。小学生に母を説得するのは未だ無理だと思う。中学生、高校生くらいになると、自分の意思で物事を決める場面はある。進路は親子で当然話し合うことだが、テストの成績が絶対だと思っていたこの時期に友達を大事にすることや、楽しい恋愛すること、例えば、勉強ができなくても、笑顔がいいねなど言ってくれることなどを私が期待していたのかもしれない。そのようなことを母に当時いうことすら思いつかなかった。今思えば…過去のことに過ぎないのであるが…
 「大半の家庭は…」とかのスタイルではなく、「私の家では…」という感じで母には自信を持って接して欲しかったと思うのも事実だ。

3.社会人なってからのこと


 私の父は24年前に食道がんから多臓器不全になり、この世を去った。未だ20代だった私と家族(母、兄)は当時深い悲しみに陥った。父の最期は「わが人生に悔い無し」という感じの笑顔で静かに逝った。この頃から再度、母と兄の同居生活が始まる。私は大学4年間と新卒で入った会社に3年いて、7年間はひとり暮らしをしてきた。私の家は母と兄が衣類の小売りの自営業をしている。私は今施設で働きながら自宅に住まわせてもらっている。
 兄とたまに話す時に、母に対して「申し訳ない」という気持ちが兄弟で共通してあることに気づいた。母は高齢になってきており、一般的に結婚して家庭を持つということが私たち兄弟にはできていないことに対してと、母にはもっと楽に生きてもらいたいと願う「申し訳ない」気持ちの表れなのかもしれない。その辺の本当の気持ちを兄とは未だ話せていない。
 この「申し訳ない」気持ちが家だけならよいが、外の職場に働くことがあるのだ。それは、悪いことをしていないのに「すみません、ごめんなさい」というのと同じに相手が離れていくことなのだという。考えてみても…相手は「何か私が悪いことしたかな?」って思うのは当然だと思う。この「申し訳ない」と思う気持ちを消し去りたいだけなのに…
 私の場合は環境を変えるために再度、ひとり暮らしを始めた方がよいのか考えている。母とは通院の付き添いや買い物を一緒に行くことは続けていこうと思うし、兄は小売り商売の継続していくことがある。家族それぞれの「人生の道」は違うのであって、この共依存的な「申し訳ない」気持ちを打破することが今年の目標でもある。

 拙い文章を最後までお読みいただき、感謝申し上げます。
 ありがとうございました。


 



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