オノヨーコの「グレープフルーツ・ジュース」で喉を潤す#295
時刻は、23時40分。
仕事を終え、オノヨーコの「グレープフルーツ・ジュース」をゆっくり読み終えた。
ときおり、オノヨーコの詩で、乾いた喉を潤す。
いつみても、最初と最後は強烈である。
最初は
ぼくがこれまでに燃やした本の中で、これが一番偉大な本だ
ジョン・レノン 1970年
最後は
この本を燃やしなさい。
読み終えたら。
字義どおり燃やしてはいないが、自分の中では燃やしている。
いや、これをグレープフルーツジュースに例えるなら、飲み干している。
そして、また喉が渇ければ、新たなグレープフルーツジュースを飲んでいる。
今日、1つあげたい詩はこの詩。
あなた自身からぬけだしなさい。
町を歩くあなたを見なさい。
あなたを石につまずかせ、転ばせなさい。
それを見守りなさい。
自分を見ている他人たちを見守りなさい。
あなたがどんなふうに転ぶのか
注意ぶかく観察しなさい。
どのくらい時間がかかるのか
どんなリズムで転ぶのかを
スローモーション・フィルムを見るように観察しなさい。
何かを書く、何かを誰かに話す。
それもちょっとした自分自身から抜け出すことに思う。
そして、自分自身から抜け出すと、今抱えているものは、実に小さなものに思える。
もっともっと自分自身から遠く離れていく。
地下水の流れる音を聴きなさい。
心臓のビートを聴きなさい。
地球が回る音を聴きなさい。
すると、慈悲、感謝の念に包まれていく。
と同時に、私はじつに人間の音しか聴いていないことに気付かされる。
自分が自分であろうとする宿命ゆえに、自分の音を、自分に近い音に耳をすませる。
だが、それは私の宿命ではなく、人間の宿命にも思う。
だから、逆手に取って、存分に、私という音を、いや、私とつながる地球の音を聴いてやろうではないかと思う。
2021年10月5日の日記より
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