古代の薩摩940年 #60
第三部 薩摩と邪馬台国の攻防 征南大将軍大伴田村麻呂(おおとものたむらまろ)の独白
私は天皇より征南大将軍に任じられ、薩摩討伐にむかうことになった。陣立て(じんだて)等は一任された。まず、薩摩の情報を集める事から始めた。しかし具体的なことはあまりわからない。この大乱の時代にどこからも戦ったという報告がない。強いのか弱いのかもさっぱりわからない。
姫巫女(ひめみこ=卑弥呼)様のご託宣(たくせん)は
「戦って勝利品として米と木炭・財宝等を持ち帰れ。」だけである。同じ南九州でも隣の「球磨国」は強い。簡単には邪馬台国でも勝てないだろうという。ならば、陸路は厳しいということで東の海から志布志湾に上陸する作戦で落ち着いた。さてどの規模で臨めばよいのか? 結局、何もわからないまま、人選をすすめた。そして歴戦の兵どもを小隊長にすえて各氏(うじ)20名総勢10氏200名、船10隻。と戦利品を運ぶための空船1隻体制で出発することになった。
各氏(うじ)から選抜された小隊長は次の通り。
物部真鳥(もののべのまとり)、吉備宿祢(きびのすくね)、矢集襲津彦(やずめのそつひこ)、紀豊穂(きのとよほ)、葛城尾輿(かつらぎのおこし)、平群韓子(へぐりのからこ)、弓削小麻呂(ゆげのこまろ)、巨勢室屋(こせのむろや)、春米河勝(つきしねのかわかつ)、倭文金村(しどりのかねむら)いずれも各氏の代表にふさわしい顔ぶれとなった。