古代の薩摩940年 #52
第二部 弥生時代 後漢書・東夷伝(ごかんじょ・とういでん)
①建武中元二年、倭の奴国、奉貢朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武賜ふに印綬を以てす。
(西暦57年、筑紫の国の近くにあった奴(な)の国が貢物をもってやってきた。使いは自分の事を奴の大臣だという。場所は倭の国の中でも南の方にある。そこで光武帝は「漢倭奴国王」(かんのわのなのこくおう)と彫られた金印と官職を示す組みひもをお与えになった。)
②安帝の永初元年、倭国王帥升(わこくおう・すいしょう)等、生口(せいこう)百六十人を献じ、願ふて見えんことを請う。
(西暦107年、倭国の王帥升が、奴隷160人を献上して朝賀をお願いした。)
③桓・霊の間、倭国大いに乱れ、更々(こもごも)相攻伐して歴年主なし。
(後漢の桓帝・霊帝の時代(2世紀後半)倭国は大いに乱れて倭国全体の王は存在していない。)
⁂倭国、このころ古事記・日本書紀にある神話の時代から歴史の時代へ!
邪馬台国=大和国→大和王権→大和朝廷(日本統一)へと歴史は動き始める。