見出し画像

ほいくごはん会レポ-戦争やヘイトへの価値観

パレッタブルメンバーの一瀬奏ちゃんは、広島県出身。広島はお母さんの地元で、お父さんの地元は長崎だ。そんな彼女にとって、戦争を考えるなんていうのは当たり前のことで、温度感や湿度感を伴うような、非常にリアルな体感を伴った話題だった。だからこそ、現在SNS上で交わされるような対立を煽る表現、「戦争」や「ヘイト」が平然と肯定されることに、彼女は強い違和感と嫌悪感を抱いている。そうした表現をする人たちは、恐らく表現によって傷付く存在が実際にいることを体感できていないし、加害(それらは充分加害になり得るし、実際、国内でも法的に裁かれた事例も出てきている)の重さや責任も感じていない。自分の感じている思いとのギャップに、思わず涙が滲む。

(無責任な言葉の乱立に対する、奏ちゃんの悔しさや憤りにも似た感情。僕はそこに、8年前のあの日から感じ続けている思いを、重ねざるを得なかった。2011年3月11日に岩手で被災して以来思うのは、被災者や被災地に対して、なぜか心無い言葉を向けられることが少なくないという現実だ。悲劇や感動として消費しようとするマスコミ、諸々の支援等に対して不公平というような目で見る人たち。自分の体感とは隔絶したリアリティを欠く視線に、二次的に傷つけられたのが僕だけでないのは明らかだろう。それが震災という自然災害によるものではなく、戦争という人為的なものであれば、傷に深さと加害への憤りは計り知れない)

今回、奏ちゃんからのこうした想いや、僕の幼馴染が話してくれた中東での子どもたちとのエピソードなどから、戦争について何かの形で考えられる機会を持ちたい(それはパレッタブルなのか、個人でのものなのか、わからないけれど)と思った。また僕としても、戦争体験を涙ながら語ってくれた祖母のことや、偶然出会った戦場カメラマン桜木武史さん——深夜番組『クレイジージャーニー』で彼のことを知った。戦場カメラマンのステレオタイプを見事に破壊してくれたことで、具体性を増して戦地について考えられるようになったのは、きっと僕だけじゃないだろう。僕は以前、職場からの帰り道で偶然彼に出会い、少しの時間、お話しさせてもらったことがある。テレビで見たのと変わらない、「温和」という言葉を具現化したような人間性。そして、戦場カメラマンかつドライバー(国内にいるときは、トラック運転手として資金を貯めているらしい)の厚く硬い手のひらを感じて、一層彼のことを好きになり、尊敬するようになった——のことなど、戦争に直接結びついて思い浮かぶ人が何人もいて、改めてその人たちの話を聞きたいとも思っている。
どこかのタイミングで、何かの形で、この想いは昇華させたい。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?