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ムスリムが一日五回の礼拝やラマダーン月に断食をするのを「なぜそんなに自分の時間を浪費するの」とネガティブな見方をするのに、なぜ自分が朝早く満員電車で通勤し、サービス残業で夜遅くまで会社に残るのかを顧みない。 僕は否定したいんじゃない。貴方の人生について、考えるきっかけを与えたい。
身の回りに花がある生活がしたい。花に水を上げるときの、涼やかな水音、土の色が濃くなっていく様、葉の上を滑る水滴と、より鮮やかになる花弁が、僕の心の厚い衣を剥ぎとって裸にしてくれる気がする。
子育て中のお父さんお母さんや、保育士さん、幼稚園の先生の書く文が美しいのは、子どもと触れることで、日常の些細なことすべてに意味があるのを、あらためて気付けるからなのかな。道端の石ころや吐く息の白さのすべてがとっても美しい。
僕が保育士になりたいのは、ホールデン・コールフィールドになりたいと言うのと、もしかしたら同じなのかもしれない。
『アウトサイダー』の続きを読んでいたら、ドストエフスキーの作品を使ってアウトサイダー問題をあつかうために、特に重要な作品は『地下生活者の手記』・『罪と罰』・『カラマーゾフの兄弟』である、と書いてあった。ちょうど僕が持っているのもこの3冊だ。 また人生の伏線を回収してしまった……!
今後も共同体社会が失われていくとしたら、当然、保育はとても重要になる。 ミーム学が、保育にアプローチするとしたら、どういうものなのか。 それは、保育士が子どもたちへ “「主体的にミームを取捨選択し、自身をプログラムする」というミーム” を与えることだと、今のところは考えています。
ミームを巧みに拡散するマインド・ウイルスとしての芸術。 いつか僕はそれを生み出したい。