論文執筆
小生、工学系の大学院にて社会人ドクターをしております。
社会人になったからといって、突然研究能力が爆上がりするはずもなく、業務の合間を見ながら、ヒイヒイ言いながら研究を進める日々。
学生生活も3年目に突入し、博士論文なるものの提出期限も徐々に迫ってきました。
自分で稼いだお金で自分の意志で入学したはずなのに、論文の執筆でも苦しむ。ドMの所業以外の何者でもありません。これまで得られたメリットとしては、会社で呼ばれる際に(ふざけて)”ドクター”が冠されたくらいです。
社会人あるあるですが、学生の時もっと勉強しときゃよかったなー、とか、毎回余裕をもってやろうと言いつつ、締め切りギリギリになるのは変わらんなーと後悔がある面、こうやって会社員という立場でアカデミック領域の先生と直にコンタクトを取れるのは貴重だなと思ったりもしてます。
学生時代、研究の意味は?得られるメリットは?と詰められ、心底腹落ちした状態で解答できた人は多くないかと思います。その面、社会人になると研究と実社会との関わり合いを直に感じることができ、そこが面白く・刺激になる。
閑話休題で本題に戻りますと、そんなこんなで執筆の日々なわけですが、最近の気づきとしては、
「ゆっくり、時間をかけて理解・整理しながら進むこと」
ふざけんな、んなこた知っとるわ!という罵声が飛んできそうですが、文字面じゃなく、心底この言葉の意味が理解できてきた感じです。
上の2つはインプットする際に非常に参考になったサイト。
以前、灘高で伝説の授業として「銀の匙」という本を3年かけて読むという授業に関する内容を書籍化した一冊を読んだことがあります。
なんでそんな時間がかかるんだ?という問いの答えは至ってシンプル。
本の内容を1文字レベルで徹底的に理解するため。この理解の要求レベルは高く、例えば凧揚げとあれば校庭に出てタコをあげ、駄菓子とあれば実際に手に取ってみる。そんなレベルw
上にあげた2つのエントリも、実は同じことを言っているのだと思います。
ちゃんと丁寧に理解して進む。
人間の記憶の観点からも理にかなっていて、記憶は他の知識との結びつきが多く、強いほど残りやすいとか。
社会人となると、スピード・効率重視で脊椎反射のように文書を読んで理解したつもりになってしまうことも多いですが、それだとただ量をこなすだけになってしまう恐れがある。
一方で、上の書籍やエントリのような理解に勤めると、1つ1つの知識が確実にインプットされるし、さらにそれらの情報の関連性、ロジックも意識して読むことになるため、結果として記憶に留まる量も増えるというカラクリですね。
研究も同じで、論文を数多く読むだけでは実は一歩も進まず。
1本でも構わないので、良いとされる論文を、それこそ、なぜこの単語を選んで、なんでこういう章の構成にしたのか。なぜここに句読点を打つのか、というレベルまで徹底的に読んでみる。
そうすると自分が執筆するときに確実に糧になっています。
そんなことを30代半ばになってから気づくおじさんでございました。。。
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