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安易にラベリングしてしまうことの問題点〜HSPブームの功罪を問う/飯村周平

自分が物心ついた時に比べ、メンタルに関する単語を耳にする機会が増え、さまざまな専門用語も耳にするようになりました。
その中でも、近年よく耳にするHSP(highly Sensitive Person)。
繊細さん、なんて可愛らしい言葉で表現されたこともあり、認知されている方も多いかと思います。

これまでなんとなく生きづらさを感じていた人がこういった理解し、きちんとした医学的・科学的根拠をもとに改善に向かおうとすることは良いことだと思いますし、それこそ科学の大きな役割の一つ、だとも思います。
例えば、なんとなく疲れるなと感じていた人が、自分が騒音に敏感なことに気づき、耳栓により安定した生活を手に入れるなど。原因がわかり、対処をする。
非常に真っ当なプロセスかと。

一方で、日常会話で
「俺、発達障害でさ〜」とか「繊細さんだから仕方ない」といった趣旨のコメントを聞くと、すごく違和感を覚えます。なんか、自分自身や周いに対する隠れ蓑的に使っていないか・・・と感じることもありました。
そんな中で手に取った一冊。
医学的な見地から、特にHSPという言葉の流行に伴う負の側面に目をむけ、解説してくれた一冊。
データに基づいて言えることは言い、わからないことはきちんとわからないとする著者の姿勢にも好感が持てました。科学者のあるべき姿だと思います。

安易なラベリングは危険

いやらしい話ですが、こういった新しい概念は苦しんでいる人にとって光明となるとともに、オオカミたちにとっては格好の餌になります。
直接的にHSPという単語を謳っていないにせよ、そういった人向けの講座であったり、救ってあげます的なビジネスが跋扈する。
また、数日で取得できるような資格ビジネスも出てくる。

こういったことは推奨されるわけではありませんが、場合によってそれらで患者サイド(患者、という表現が行き過ぎなのは承知でわかりやすさのためにあえてこういった単語を使いますが)に益がもたらされるのであれば、それはそれで良いことなのかもしれません。
ただ、著者の野村さんはもう一歩踏み込んで考えていて、例えば発達障害とHSPの特性を両方持っている場合に医学・専門的な知見なしにHSPと診断され、発達障害の側面が見落とされてしまう懸念があるのではないか、と指摘しています。
これは本当にその通りだと思います。
いわば、HSPという概念が本当の原因を覆う隠れ蓑状態になってしまっているケースですね。

躁うつ病、パニック障害、アスペルガー症候群・・・名前も症状も日常生活の送りづらさも濃淡があります。
自分だって、気分がハイな日もあればドヨーンと落ち込む日もあり、引きずる時もある。専門的に勉強したわけではないので安易に言い切るのは避けるべきでしょうが、人間皆波があり、その濃淡である程度のところからは病気、と勝手に線を引いているだけのような気がしてきました。


やや話がそれますが、コミュニケーション力といった昨今流行りの〇〇力といった表現も、個人的にはやりすぎ感があるように感じています。
自分はコミュニケーション力が低いから・・・、あの人は化け物みたいなコミュ力があるから・・・といった表現、よく聞きますよね。
最近では、新入社員に求められる資質としても上位にランクインするこのフレーズ。
じゃあ、コミュニケーション力って具体的に何よ?
と聞かれると、自分は端的に答える言葉を持ち合わせていません。
相手の話を遮らずにきちんと聞いて理解し、相手に興味を持ち、適切に質問をし・・・とここの動作・スキルに落とし込むことは可能ですが、それを大括りにしたコミュニケーション力って一体何なのよ、という感じです。
(もちろん、なんとなく言わんとしていることはわかりますが)

深く考えずによくわかっていない単語を使ってしまうこともよくあるのですが、自省の念も込めて、もう少し言葉の使い方に敏感になるとともに、安易なラベリングは避けないとなと思う今日この頃です。












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