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(書評)走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることが習慣になって、15年近くが経つ。
始まりはひょんなことだった。

たまたま山奥の勤務になり、最寄りのコンビニまで8km。
時には寮(プレハブの寮に住んでいた)の屋根に猿が登ってたりする光景を目にするような住環境。
昔太っていたことに対してのコンプレックスもあってか、腹の出た社会人にはなるまいと思い続けていた。
思い返すと、ランニングを習慣にする条件は整っていたように思う。

高校の時のジャージを着て、ミズノの安いランニングシューズで走り出した。

それが、今やマラソンが数少ない趣味となっている。
年に数回、ハーフマラソンなりフルマラソンに出場し、絶望とほんのちょっとの達成感を味わっている。


人に趣味はランニングですという話をすると、結構な頻度で
・走る時って何考えてるの
・なんでわざわざ時間とお金をかけて辛いことをするの
という問いを投げかけられる。

正直、自分でもよくわからないが、おそらく複数ある理由のうち何個かは言語化ができている。
もっと明確にしたくて手に取ったのが本書。
村上春樹さんの「走ることについて語るときに僕の語ること」
ランナー界では有名な一冊。

ちなみに、村上春樹さんは小説が有名だが結構ストイックに運動をしていて、フルマラソンだけではなく、サロマ湖の100kmマラソンを完走していたり、トライアスロンの大会に出てたりします。
そんな彼が、タイトルの通り、走ることについて綴ったエッセイをまとめたもの。

何か珍しいメソッドが書いてあるわけでもなく、彼はプロ選手でもないので、読んで練習方法を活かせたりということも基本的にない。
しかし、自分も1しがないランナーとして、わかる!という記述が多く、なんとも言えない没入感と読後の爽快感を得た、読書体験となった。
なぜかわからんけど、本が自分が日頃思っていることを綺麗に言語化してくれると、嬉しくなってしまうのは自分だけでしょうか。

興味深い記述について、抜粋してみます。
特にランナーの皆さん、全力で頷いてください!

何人もの有名なマラソンランナーにインタービューしt、彼らがレースの途中で、自らを叱咤激励するためにどんなマントラを頭の中で唱えているかという質問をしていた。 中略 それだけフルマラソンというのは過酷な競技なのだ。マントラでも唱えないことにはやっていけない。
その中に一人、兄に教わった文句を走り始めて以来ずっと、レース中に頭の中で反芻しているというランナーがいた。Pain is inevitable. Suffering is optional.それが彼のマントラだった。正確なニュアンスは日本語に訳しにクイのだが、あえてごく簡単に訳せば、「痛みは避け難いが苦しみはオプショナルだ」ということになる。

確か、著名なトレイルランナーの方のインタビューでも同様な内容を見た記憶があります。骨が折れたら痛みが生じるのは避けられない、でも痛いから苦しい、もう嫌だ、と思う思考の方はいくらでも変えられるという趣旨でした。
にしても、究極の世界的なマントラですね。
心頭滅却すれば、火もまた涼し。

そんな無茶な!という声も聞こえてきそうですが、フルマラソンはマジで多少なりともこう考えないと、リタイア必須です。
事実と自分の感情を切り離すという点では瞑想に親和性のある考え方のような気がします。

昨日の自分をわずかにでも乗り越えていくこと、それがより重要なのだ。長距離走において勝つべき相手がいるとすれば、それは過去の自分自身なのだから。

競技としてマラソンをしている人は除き、この記述、市民ランナーは首肯する方が多いのではないでしょうか。
ゴルフはまた別かもしれませんが、基本的に多くの競技、スポーツは相手がいて、明確に勝敗が分かれます。
一方、マラソンは順位は出るものの、順位のみを目標にしている人はほぼゼロに等しいのではないでしょうか。
多分、多くの人は目標とするタイムを決めて、それにチャレンジする。
言い換えれば、過去の自分に勝つこと、ベストタイムを出すことに集中していると思います。

自分がマラソンに出会い、今も細く長く続けられているのは、勝敗にとどまらない、過去の自分との戦いという要素があり、自分の負けず嫌いもあって「昨日より成長してやる」という反骨心のようなものがあるからかもしれません。

全ランナーに捧ぐ一冊です!

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