エネルギーという観点から物事を見ると解像度が上がりそうだ、という話〜エネルギーをめぐる旅/古舘恒介
タイトルだけ見るとお堅いエネルギー関連書籍のように見えますが、内容はめちゃくちゃ面白い。
自分は、読書の醍醐味というのは、
・これまでに点でしかなかった知識が有機的につながること
・新たなものの見方を手に入れること
・当たり前と思っていた事象の理由(必然性)がわかること
だと思っています。
本書は、エネルギーという切り口から上の二点をこれでもか!というくらいに満たしてくれ、知的興奮が止まりませんでした。
その中でも、特に面白いと思った2点をご紹介。
本書では、こんなエピソードがわんさか転がってます。
古館さんのライフワークをまとめたという
昔の人の観察力
「稲妻」という言葉。
雷を指す言葉なのは皆さんご存知かと思いますが、なんで「稲」なのでしょうか。
それを解く鍵は、実はエネルギーに関連していました。
植物が素立つためには、窒素、リン、カリウムが必要だそうで、この3つの元素が肥料の主原料となっています。
このうち、窒素については空気中に多く存在しています。
化学的にはこの窒素、3重結合という構造をしていてこれがめちゃくちゃ安定しているわけです。
車のタイヤに窒素を充填することからも、なんとなく安定しているイメージはお持ちいただけるかと思います。
で、この空気中に存在する3重結合の状態だと、もちろん肥料としては使えません。その3重の鎖を断ち切って初めて肥料として使えるわけですが、高度な技術が整っていなかった時代、どうやってその現象が起こったか?
半分答えが透けてしまってそうですが、そう、その断ち切るエネルギーが「雷」だったわけです(と言っても、1つの説にすぎず、断定はできませんが)。
雷が発生したところはどうやら稲がよく育つぞ、というのを経験から知ったであろう昔の人は、雷に稲妻という言葉を当てはめたのですね。
にしても、すごい観察力だと思いませんか?
天気のこととか、おばあちゃんの知恵袋的なこととかって、後になって科学的に証明されたりすることって少なくない気がします。
科学的な知識は現代人の方がたくさん持っているのは間違い無いですが、現象を見、そこに法則性を見出す観察力という観点では、もしかしたら現代人が失った能力があるのかもしれませんね。
地球温暖化とか食料問題とかの前に人多すぎじゃないか問題
昨今、盛んに地球温暖化対策の必要性が叫ばれています。
カーボンニュートラル、ネットゼロなんて言葉も当たり前のように使われるようになってきました。
IPCCの報告書でも、昔と比べると”人間の営為により温室効果ガスの空気中の濃度が上昇し、徐々に地球があたたまってきている”というのがほぼ断定されています。
このままだと世界が暑くなりすぎて、やがてさまざまな問題が出てくる。場合によっては人が住めなくなるというのは、大問題です。
自分たちはそんなことになる前に死んでしまう可能性が大ですが、今の子供達、そして将来生まれるであろう命に少しでも良い形でバトンを繋いでいく。
全人類に課せられた使命だと思います。
ちょっと前まで70数億人と言われていた世界の人口も、今や80億人を超えたそう。二酸化炭素の排出量には人口も多分に影響していることは想像に難くないところですが、そもそも、持続可能という観点からの適切な規模があるのではないか?
という観点からも、著者の古舘さんは言及しています。
にしても、歴史学にエネルギーにカロリーの観点、著者の知識量と点を結びつけてストーリーにする力には脱帽。
江戸時代の後期には、徹底したリサイクル・再利用により循環型社会が成り立っていたらしく、その時の人口が3000万人程度だったそうです。
そこから、今のように1億人をこえる状態になるには、
・海外からのエネルギーの輸入
・単位面積あたりの収量(取れるエネルギー量)の増
2つが必要で、それらに頼らないで生活していけるのは3000万人程度が限界ではないか、という説を提唱しています。
命に関わることですし、簡単に人口を減らすべきだという議論をするつもりもありませんが、もしかしたら人間は、決められた土壌(地球)を無理やり改変し、元々あった資源を吸い尽くして寄生し、増加している、のかもしれません。
これからの時代、エネルギー問題を考える上で教科書になる1冊だと思います。
知的好奇心という観点からも激推しです!