血も繋がりそうな貴女の粕汁
義母の作る粕汁が好きだ。
好き過ぎて、飲んでるうちに血が繋がってしまうんじゃないかと錯覚するくらい好きだ。
我が家は週5で義母が晩ご飯を作ってくれる。
私は仕事を終えて帰宅して洗濯機を回して、5軒先の旦那の実家へ向かう。
予め帰宅時間をLINEで伝えてあるから、いつもホカホカと湯気立つ食事にありつく。義父母や娘たちの食事に間に合う日もあれば、間に合わない夜もある。
食事を終えると食器を流しに重ねて、娘たちと2度目の帰宅をする。
「ご馳走様。おやすみなさい。」
娘たちがお風呂に入っている内に洗濯を部屋干しして、あれやこれやしている内にあっという間に就寝時間になってしまう。
そして翌朝は、娘たちをバタバタと学校へ送り出して、また夫婦2人で営むカフェに出勤する。
そしてまた、私は夜8時にホカホカの晩ご飯を食べに旦那の実家に帰る。
義母の作るご飯はどれも美味しくて、私が幼い頃食べてきたものとは少し違っていて、もう13年、私の体の血となり肉となっている。
中でも、粕汁は特別。
なぜかとうの昔に出た私の実家の、母が作る粕汁と同じ味がする。お嫁に来て初めて義母の作る粕汁を食べた時、舌のフラッシュバックに驚いた。
私にとって粕汁が特別になった決定的な夜があった。
長女が生後3ヶ月。お正月だった。
その日も私の帰りは遅かった。
仕事が忙しくて、お昼ご飯も食べられず空腹と疲労で心身共にすっかりボロ雑巾のようだった。
家に帰るのも恥ずかしかった。まだ生まれたばかりの我が子を義実家に預けて、ご飯まで作ってもらって、嫁として母親としてひどく落ちこぼれている自分に泣けてくるほどに。
玄関の扉を開けるとすぐにそれと分かる匂い。
酒粕の匂い。実母が作るのと同じ。
「純ちゃん、粕汁好きやろ?今日寒いから、たくさん食べや。」
もう少しで落第みたいな私のために、私の大好きな粕汁を熱々に用意してくれて迎えてくれる義母。
大根も人参も蒟蒻も丁寧に短冊切りにされ、こだわりの酒粕と鮭。寸胴みたいな大きな鍋に食べきれない量が。美味しくて美味しくて、泣きそうになるのを堪えた。
いや、ちょっと泣いた。
相変わらず私は「主婦」とは名乗れない仕事まみれの日常を送っている。
今の時代、どんな形の家族があったっていいじゃんという風潮に甘えて助けられて、我が家なりの家庭のあり方を保っている。義父母のサポートあってこその生活だ。
そして今も時々、食卓に現われる粕汁に私はいつも元気をもらう。
旦那とどんなにケンカしようとも、この義母の粕汁を飲む度に「この家に嫁に来て良かった」と思い直す事が出来る。だから旦那も義母の作る粕汁にはぜひ感謝してほしい。
血は繋がっていなくても、同じ食卓で同じものを食べて、それが血となり肉となる。もうそろそろ、私と義母の血は繋がってきているんじゃないかな。
なんて思ってしまうほどに、私は義母の粕汁が好きだ。