『覇王の神殿 日本を造った男・蘇我馬子』発売記念インタビュー 【歴史奉行通信】第八十五号
こんばんは。伊東潤です。
コロナ禍も一段落し、各地から春の息吹が伝えられるようになりました。
ようやく道行く人々の顔にも安堵感が漂い、経済活動も徐々に旧に復していく気がします。
それでは今夜も、歴史奉行通信 第八十五号をお届けします。
〓〓今週の歴史奉行通信目次〓〓〓〓〓〓〓
1. はじめに
2. 『覇王の神殿 日本を造った男・蘇我馬子』
発売記念インタビュー「蘇我氏四代を語る」
3. おわりに / 感想のお願い
4. お知らせ奉行通信
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1. はじめに
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さて今回は、3月5日発売の新作『覇王の神殿 日本を造った男・蘇我馬子』の特集です。
本作は、飛鳥時代の王権を支えた蘇我氏四代の二代目にあたる馬子を視点人物に据えた長編小説です。
多くの方は「馬子って誰?」とお思いかもしれませんが、馬子こそ日本という国の基盤を作った人物なのです。
基本的な知識ですが、蘇我氏四代とは初代稲目―二代馬子―三代蝦夷―四代入鹿になります。
稲目以前の蘇我氏については記録がほとんどなく、定かなことは分かっていません。
少なくとも稲目から蘇我氏の台頭が始まり、四代入鹿の代で最盛期を迎え、それが乙巳(いっし)の変(大化の改新)によって唐突に滅亡してしまうわけです。
初代の稲目は屯倉(みやけ)という仕組みを作り、国造や豪族から朝廷へ一定量の貢物を納めさせることで、「国家予算」が組めるようにしました。
そして渡来人を重用することで文字を読み書きするノウハウを独占し、仏教の教義や先進的な技術を文字によって広めていきました。
さらに朝鮮半島南部でしか取れない鉄を輸入し、鉄製農具によって農業の生産性を高め、鉄製武具に身を固めた兵団も作りました。
そのほかにも灌漑水路工事の技術、馬の飼育、乾田法(かんでんほう)、須恵器(すえき)の製造といった技術の受容から、
国庫や戸籍の管理といった書記(事務)の方法に至るまで、大陸や半島の文物の導入を積極的に行いました。
稲目の行ったことで最も重要なのが、渡来人から伝えられた仏教を国家統治の基盤にしようとしたことです。
その方針を引き継いだのが馬子になります。
21世紀を生きるわれわれと違い、当時は国家意識というものが育っていませんでした。
しかし為政者は飛鳥時代から外国、すなわち隋や唐といった大陸国家や、高句麗・新羅・百済といった半島国家の存在を意識しており、
日本(当時は大和朝廷)をどのような国にしていくかで悩んでいたと思われます。
豪族の間でも、日本古来の神々を信仰する勢力いわゆる守旧派と、仏教を思想的基盤とした国家を造り上げていこうという二派に分かれていました。
それが廃仏派と崇仏派です。
廃仏派の代表が物部氏に対して崇仏派の代表が蘇我氏で、双方は武力衝突に至るわけです。
この戦いに蘇我氏が勝つことで、日本は仏教国家の道を歩み始めます。
しかし事はそう容易には運びません。
物部氏が滅んだら滅んだで、新たな権力闘争が始まります。
さて本作『覇王の神殿 日本を造った男・蘇我馬子』では、馬子を視点人物に据え、その国造りの軌跡を描いていきます。
後はロングインタビューをお読み下さい。
質問者は所属事務所コルクの武田さんです。
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2. 『覇王の神殿 日本を造った男・蘇我馬子』
発売記念インタビュー「蘇我氏四代を語る」
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ーすごく面白かったです。
史実に沿いながらも、これだけ面白い物語になるのですね。
伊東:
ありがとうございます。
それだけ馬子の生涯は波乱万丈だったわけですが、ストーリーを動かしていくのは、やはり人の感情です。
本作の場合、史実のベースラインは『日本書紀』になりますが、そうした史実に、
感情で動く人間たちのドラマを寄り添わせることができた作品だと思います。
ー本作を書こうと思ったきっかけは何ですか。
伊東:
作家・伊東潤が掲げるテーマの一つに「この国を造った男たちを描いていく」というものがあります。
そのテーマに沿った作品としては、『江戸を造った男』『修羅の都』『威風堂々 幕末佐賀風雲録』(2022年初頭発刊予定)といった作品が挙げられますが、
それでは、この国を最初に造ったのは誰かと思い、調べていくと行き着いたのが蘇我馬子だったのです。
これまで蘇我氏の物語としては、四代入鹿と中大兄皇子らの時代を描くものが多かったのですが、
あえて主人公に馬子を据えることで、豪族たちの集まりでしかなかった大和朝廷が、国家というものにまとまっていく過程を描きたかったのです。
ー本作の読みどころはどこにありますか。
伊東:
やはり力強い人間ドラマですね。
当時を生きる人々にも感情はあります。誰かを好きになったり、大切な人を失って悲しくなったりするのは、今を生きるわれわれと変わりません。
しかし研究本には、そうした感情は描かれません。
歴史研究とはそういうものなので当然なのですが、感情部分が伝わらないと共感が湧かず、また史実上の言動さえ理解し難いものになってしまうこともあります。
そこに小説の存在意義があります。
むろん小説でも、勝手に歴史を書き換えることはご法度です。
それゆえ史実を歴史解釈として提示した上で、感情の籠もった人間ドラマにしていくことが大切なのです。
本作はこれまで以上に、そうした人間の感情部分を深く書いていきました。
馬子の物語を書き終わった今は、歴史は感情が動かしていくものだと痛感しています。
ー飛鳥の風景描写が多く入り、とても想像力をかき立てられます。
伊東:
今回も「そこに連れていく」ことを念頭に置き、日本人の遺伝子に刻まれた飛鳥の原風景を描き込みました。
脱稿後すぐに取材にも行ったので、もっと書きたいと思ったのですが、泣く泣く重複するような描写は削り取りました。
また風景描写だけでなく、当時の風習、儀式、食べ物、髪型、甲冑なども、しつこくない程度に書きました。
こういうのは書き始めるときりがなくなり、ストーリーラインが曖昧になるので「ほどほど」にしています。
それでも読者の皆さんを、当時の飛鳥にお連れすることができると思います。
ー蘇我馬子は何を成し遂げたのですか。
伊東:
これまでの馬子は、大王家に取って代わろうとした悪の権化のように描かれてきましたが、
実際は推古大王と二人三脚で国家の基盤を整えた一代の傑物だと分かってきました。
古代国家では政治と宗教が並立するほど大切でした。
稲目と馬子が国家統治の基盤に仏教を据えたことで、日本は仏教国家となり、それが現在でも全国七万二千余の寺院数として残されているのです。
もし物部氏が蘇我氏に勝ち、日本古来の神々が信仰対象になっていたとしたら、
その理論的基盤の脆弱性から、宗教が根付くことはなく、今の国家の姿は違ったものになっていたと思われます。
戦国時代以降、キリスト教が深く浸透し、日本は韓国やフィリピンのようにキリスト教国家になっていたかもしれません。
その点、馬子の成し遂げたことは、よかれ悪しかれ現代社会にまで影響を及ぼしているのです。
ー蘇我馬子とは、どのような人物だったのですか。
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