noteをはじめて思うこと

まだnoteで記事を投稿しはじめてから数日しか経っていないが、自分のクセとか気づいたこと、普段とちょっと違うこと考えてる自分に気づいたので、ちょっと書いてみようと思う。

まず、やっぱり思ったことそのままは書けないモンだなということ。
当たり前といえば当たり前だけど、すごくノッてる時はポンポンと楽しい言葉が浮いてくるけど、そうじゃない時は文章がものすっごく生真面目というか、硬い。ガッチガチだ。
最初に投稿した記事がちょっとテンポいい感じに書けて、自分でも読んでて楽しくなるいい文章を書けたのだけど、そういうノリがいいよねと書きかけの文章の表現の仕方を変える自分がいる。読んでて楽しくなってくるのがいいよねと。
そうなると、当初と文章に宿る色合いが変わる。
仄暗い感情で薄暗くなっていた文章が、パーっと太陽に照らされた春の草原になる。
私は見聞きしたものに反応してポポポポンと頭に言葉が湧いてくる。思考がギュンギュン回り始める。
総じてそういう時はテンポがいい文章というかセンテンスというか、そういう文章が書ける。
が、それも最初だけ。私の悪いくせで、書いて展開させていくうちに道を逸れて行く。
化学反応を繰り返すように、次から次へと変化していく。
そして読み返して「何が言いたいんだっけ?」と我に返りこねくり始める。
勢いに乗ってワーッとなっていたのが冷静になり、それまで降って湧いていた言葉は消え、夢から現実に引き戻されるような、そんな感じだ。
上から下から左右からぐるぐる回して物を見るように文章をいろんな角度から見る。
そして何度も何度も読み返してスラスラテンポよく読めたら完成になる。
その過程で、テーマを考えると余分だなと思い削る部分も多々ある。
漫画家でテンポが悪くなるからとシーンを削るとかあるし、やはりテーマに沿って書くということは、現実と違って人工的に加工されるものなのだなと思う。
事実は小説より奇なりというけれど、結晶化させた小説よりも色んな成分の混じった現実の方がボリュームは大きいし、いろんな鉱物の混じった石みたいに見る角度を変えるとまったく違う表情を見せるのだから、そっちの方が意外性の宝庫だろう。

何か刺激を受けるとポポポポーンと文章が湧き出てくるのだが、そうやって書き出した文章のうち、いくつかは下書きの状態になっている。
人の言動から湧き出た文章を書くということは批判をするということで、批判は自分にも跳ね返るものなので、公開するのに躊躇してしまう。
何より、人からの刺激のうち「ちょっとどうよ」と思う気持ちから湧き出た物にはトゲが生える。
その時感じたことをそのまま書くと、あまりに毒がすごくて、こんなもん人に見せるのはどうよ、と表現方法を模索する。
先にも書いたが、私は次から次へと化学反応を起こすように横道に逸れていく。
読み返すと、最初に伝えたいと思っていたことから外れ、あれもこれもとエピソードを付け加えて、見事な猛毒キメラが出来上がっているのだ。
何でも原液がいいわけではない。ましてや感情という原液は猛毒だ。
毒は自分で処理するものであって、他者にぶっかけるものではない。
何より、嫌な思いをさせる文章を書きたいわけではない。
自分の頭の中の世界を文章化してみんなに自分の考えを聞いてもらいたいというのもあるが、読んでる人がプッと吹き出して元気になれるような文章の方が万倍楽しい。

批判といえば、私は中心の星が玉堂星で、調舒星2つ持ちという、見る人が見たら「あー、うん。批判力旺盛やね」という命式になっている。
玉堂星は「観察力」と「批判力」が高いそうで、調舒星は「攻撃的な批判」。
ちなみに西洋占星術だとトールハンマーという複合アスペクトを持っている。
別名「神の拳」。意味は正義の鉄槌よろしく鋭い指摘と批判。
西洋占星術と東洋占星術の両方で同じような内容が出てきたりするので面白い。

この批判の源泉は何なんだろうなと自分でも思うことがあって、余計なものをかき分けて出てきたのは、愛、だったんですよね。LOVEじゃない方の愛。
「そのままでいたらまずいんじゃないの」「そんなこと繰り返していたら苦しいだけだよ!」って。
批判の根っこにあるのは、そういう心配性に似た愛情で、逆説的に心配だから批判する。
今にして思えば、非常に象徴的なことが小学生のときにあった。
クラスに前髪を鼻の頭まで伸ばしておどおどした感じの女の子がいて、その子に「前髪切りなよ!なんで伸ばすの!」ってチクチクちくちく、ほんとイジメかってくらいきつい口調で睨んでいた。
彼女の方は目を逸らしたり俯いたりして困っていたように思う。
ある日「なんで切らないの!だからいじめられるんじゃん!」って声を張り上げて怒鳴ったら、翌日その子は前髪をバッサリ切って登校してきてた。
しかも、登校してきた彼女の表情は、すごく嬉しそうな晴れやかな笑顔。
彼女のまわりにはすぐクラスの女子が寄ってきて、それ以来彼女はクラスに馴染めるようになった。
私はというと、彼女が髪を切ってきたらストンと憑き物が落ちたようになった。
登校してきた彼女がにこにことした笑顔で私に寄ってきて、私はそれまでキツく当たってきた事もあり、漫画でよく見るような感じでキョドりながら「よ、よかったじゃん」みたいな反応を返してた。ツンデレか。
それ以来、彼女に対して普通に接するようになった。
彼女に怒鳴っていた頃の私は、なんで彼女にこんなにイライラするのか自分でもよく分からず、「なんでこんなこと言うんだろう自分」と自分で自分が不思議だった。
彼女が前髪を切って私がいつもの自分に戻ったとき、「そうか、私は彼女がクラスに馴染めず浮いているのが嫌だったんだな」ということに気付いた。
ちなみにこんなことは後にも先にもこれっきり。
私自身がいじめられていたから、そんなことされたら嫌なのわかっているのになんでするの?と不思議で不思議で仕方なかった。
批判の源泉は愛。他の人はどうか知らないが、私はどうもそうらしい。

ちょっと書くつもりが長くなった。
あと、久しぶりに文章をゴリゴリ書いている訳ですが、やっぱり単語の勉強になりますな!
あれ?これでよかったっけ、と調べるので、いい復習になる。

ひとまずこれにて。
下書きで止めている文章も、そのうち公開してみようと思う。

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