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その時代で出来るいいものを選ぶという生き方
私の中でイタリア好きな自分が死に、イギリス文化が芽生えつつあります
会社の人に言わせると、筆者はふらふらとまた価値観がぶれると言われます
断じてそういう簡単な話ではないと述べたいのですが、この言語化が難しくなかなか理解をしてもらえない
しかし、分かろうとする人は分かってくれていて、私が通う床屋のマスターいわく、
「ようはその時代で出来るいいとこ取りをしていて、それが国を股がるって話でしょう」
と簡潔にまとめてくださいました
そのマスターもアメリカ文化に傾倒していて、かなりの趣味人です
しかし、レイバンも好きだし、ミニクーパーにも乗っているなどアメリカと一言では片付けられない感じです
あくまで自分の個性=生き方を発揮した際に、イギリスという価値観"も"ハマってるなと感じるのですよね
一概に言えないのですが、国でモノを分けるならこんな感じで集めています
○イギリス…コートやジャケットなど普遍的なアイテム
→不易流行で確立されていてかつ、安いものが多い
○イタリア…ちょっと旬が過ぎた流行りのもの
フィアット、ベスパ、ネクタイなど
→インフレゆえ流行りにのると値段が高いので追い続けない あるいは中古を活用
○アメリカ…ピンポイントで個性が強いもの
→ハーレー、ショットのアウター等唯一無二のもの
○日本…すべての消費の基礎 消耗品、一点ものはこれ
→ユニクロからオーダーの靴まで多種多様
という具合です
今しか使えないものは、なるべく今使う
変わらないものは長く使う
手を抜けるものはこだわれる範囲で安く仕上げる
そういう選択した生き方を行っているのが私の本質かなと思っています
典型例はキャブのバイクですね
すでに製造していない中で、まだ安く買えて、あの音を聞ける最後の世代の可能性があるのでなるべくのり続けたいと思っています
はなしはかわり、毎年終わりに近づくと、「大市民」というマンガを見直しています
たまたまですが、冒頭から生き方の話の持論を展開します
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個性とは生き方の話である
私が何かに被れていても、被れていなくても本質は私の個性でモノを選択している…そういう生き方を選んでいるに過ぎない話です
そこに国もなにも関係がない…とおもいます
イタリアもある程度関わったからここまででいいやと卒業した気持ちがあります
逆にいうと深追いをしたから分かる世界があるというニュアンスに近いです
何かに重きを置かなくてもよい
その人が意識的に選択したらそれが個性である
そういう主体性のある生き方をこれからも続けていきたいですね