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見知らぬ記憶


先月、小林紀晴氏の金子光晴氏の軌跡を追う中、出会った人、風景との写真と自分自身の内面と向き合う形で書かれたフォトエッセイを読み、自分の中でも似たような感覚があるのを感じて小林氏に親しみを感じていた。

まばゆい残像 そこに金子光晴がいた<わたしの旅ブックス17> / 小林紀晴(Kisei Kobayashi) | 産業編集センター出版部 (shc.co.jp)


そして、先日、新しい図書館で小林紀晴氏の「見知らぬ記憶」という本を借りた。新しい図書館の蔵書のセンスがやはり素晴らしい。
おかげで引越をしてから私の読書量は飛躍的に増えた。

「見知らぬ記憶」というタイトルには惹きつけられた。
デジャヴではなく、おそらく過去の写真を通して、その当時は気がつかなかったことを写真を通して気づいたことを象徴されているのではないだろうか。

本書の中で小林紀晴氏と星野道夫氏が出会う場面が書かれている。
星野道夫がある雑誌の編集者からインタビューを受ける場面を撮る仕事を小林氏は請け負った。
通常このような場面ではカメラマンは黒子役で存在感を消すのが常であるようだが、星野氏はそんな小林氏に対しても丁寧に笑顔で挨拶して名刺を渡してくれたそうで、小林氏はそのことにとても感動したようだ。
星野氏の誠実な人柄が伺える。
奇しくも、そのインタビューが星野氏の「旅をする木」の文庫版発刊記念に伴うものであったようで、シンクロニシティな感覚に包まれた。

旅をする木|junchan (note.com)


また、小林氏は母校の写真の短期大学の講師をされているようで、その卒業式の日にインフルエンザにかかって参加できなくなった際に、卒業生に向けてのメッセージが良かった。

村上龍氏の「世界を知ること」「楽しみこと」「死なないこと」の3つのフレーズを引用しつつ、社会に飛び込んでいく卒業生に向けてのメッセージは、まさに私自身に、また私の3人の子にも同じように向けてやりたいメッセージと思った。

世界とは海外のみならず身近な日常のなかで多くのものに触れて発見をしていくことでもあり、楽しむためには日常を無意識に流されていることに意識することが必要である。
作品を作る上でも自分の作品を客観視して駄目だしをする癖をつけていくこと、そのためには孤独を友とすること・・・

このメッセージを卒業式の2次会で受け取った卒業生たちの多くは泣いて、すぐに小林紀晴氏に電話をかけてきたそうだ。
たまたま卒業式の日にインフルエンザになって打ち合げに参加できずメッセージを送る形になったことで、全く予想もしなかった感動をお互いに感じ合えたことは素敵な話であった。
小林紀晴氏が、短期大学の学生たちと風通しのよい関係を築いていることを感じさせられた風景であった。




秋草や静かな場所にしづかなひと

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