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元型と象徴の事典

夢分析のサイトで参考文献として紹介されていた「元型と象徴の事典」という片手では持てない(800ページほど)の分厚い事典を借りてきた。
こんな本を本当に読み込めるのだろうか活用できるのだろうかともうひとりの自分の声が聞こえてくる。

トランジット双子座に太陽、木星が入り、気ままに何か学んでみるという軽い気持ちで、タロットのような感じでぱっとページを開いたところを読んでいく、何か1つでも参考になるものがあれば良いのではないかともうひとりの自分が否定的な自分をなだめていたりする。

今迄の自分は、これは読めるという本を中心に借りて読んできた。
そういう意味では今回の事典は挑戦的であった。

元型は別名アーキタイプと呼ばれており、ユング心理学の中でのイメージや象徴を生み出す源となる存在とされている。


本辞典で今の私がとても共振した2つの内容を簡単に紹介したい。

①「ドラゴンを殺すバーラム五世」(イラン、モンゴル)
画像はWEBでも検索できないので紹介は割愛しますが、以下の解説がとても興味深い。
ドラゴンという人間の無意識に働くエネルギー(月星座)の性質を認識し、それに対して意識的な態度をとること。
すなわち、自分の中で無意識に働く月星座を日常の中で意識していくことが
人間の責任であると。
ここで表現される道徳的役割とは山羊座的な時代の儒教的なものではなく、本来の人間として最低限わきまえておくべき嗜みと私は受け止めた。

個人が戦わなければならないドラゴンは、人類の文化やパーソナリティとは敵対する。個人のまたは集合的意識の側面を示すものである。普通これらの無意識のドラゴンは敵として状況に投影される。その際われわれがすべきことは、ドラゴンの内なる性質を認識し、ドラゴンに対して意識的な態度をとること、つまり、人間の、自分の感情や幻想に責任があるという道徳的な役割をとることなのである。

元型と象徴の事典から引用


②シウフーの家(北米インディアン ピマ族)

北米インディアンに迷路の模様のかごが残されているようだ。
これもwebでは検索しても出てこなかった。
その迷路の模様は人間の意識の具体的なシンボルであり、この解説では手さぐりで進むことと語られている。進路が壁で遮られた迷路を目ではなく手さぐりで進むことが意識と向き合うには重要であると。

これはまさに右脳と左脳の働きにも関係する。左脳的に合理的な方法を選択すれば、意識において大切なものを見落としてしまう。
制限されることで見えてくるもの、生まれてくるものという日本古来の道にも重なるお茶、お花や俳句などの型、形式にイメージが重なる。
考える、悩むというエネルギーは左脳的であり、目に見えないエネルギーを感じていくという右脳的な関わりが1つの糸口であると思う。
ネドじゅんさんの自動思考のお話とも見事に一致する。

手探りで行うという行為には理屈ではない海王星的な無意識的な直観なエネルギーが働きやすいと思う。

私も図書館で本を借りるときも、まさに手探りの感覚で書架をうろうろと回る中、ぴんと感じた本を数冊借りる。
毎朝の夢日記とタロットカード、ホロスコープも、複数の象意の中から何を選択するのかもまさに正解のない手探りである。


四方を壁に囲まれ、相交わる迷路からなる領域を説明している。この領域に神の霊がいる。それを得るものは、栄え、それを失うものは滅びるだろう。彼は迷路の領域とその中にある重要なものを取り扱う正しい手順をこう述べている。「考えるのをやめることが望ましい。悩むことは馬鹿げている」
ここに描かれている迷路は、意識の具体的なシンボルである。この意識に言及する別の方法は、「手さぐりで進むこと」について語ることである。これは、「視覚」によって合理的な目的に向かって進む方法ではない。これは正気を失った人の様式である。

元型と象徴の事典から引用


本辞典の中には、あまり見たくないような絵も存在した。
私でもこの絵はスルーしておこうと感じたほどなので、敏感な方は閲覧注意かもしれない。
夢や象徴するもの、普遍的な要素を含むイメージがさまざまな時代、場所で絵画や像等で表現されて残されている。
その時代の覚者は、自身が会得したものをこのような表現で残してくれていたが、それをどのように受け止めていけるかという点が、まさに私たちに問われているように思う。




薫風や分厚き辞書に付箋貼る

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