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支配しようとするもの

今年初めから同じ部署で働くようになった女性に製品説明などを何度か行う中、彼女が何か言いたいけど言えないものを抱えているように感じた。
礼儀正しく、いつも仕事に前向きな彼女の中に何か翳りが生まれてきたような感じがあった。

先日、会議室で彼女から言いにくそうにPCにとにかく起こったこと、されたことを入力したので読んで欲しいと言われ、その内容を読んだ。エクセルに時系列に打ち込まれた内容に触れてすべてに察しがついた。

よく異性の私にここまで伝えてくれたなと思った。彼女としては、内容が内容だけに自分ひとりの中では受けきれず、誰かに聞いて欲しかったのだ。
彼女は他の人が出入りしない部屋の中で先輩の男性から作業を指導してもらう立場であり、とても前向きな姿勢で取り組んでいる最中に起こってしまった。

最初は、気のせいと思っていたが、さすがにある日の出来事をされてからは身体が凍りついてしまい、それ以降は仕事しながらもいつもびくびくしていたと語ってくれた。さらに彼女のPCのメールを見たり、彼女の行動を監視したりと作業を教える立場が教えられる弱い立場に対して行われるハラスメントの典型的なパターンの関係性が生まれてしまっていた。

彼女に対しては仕事よりも先ず自分自身を守り、大切にすることが一番であり、この関係性を断ち切るために勇気をもって上司に事実を伝えるようにアドバイスした。

彼女は、男性からの恨みとどんな仕返しをされるのかということが強い不安を感じていたが、何とか勇気をふりしぼって上司との対面の面談で、事実を伝えることができ、その後は人事が介入して男性は自宅待機扱いとなり、彼女は再び安心して仕事に励めるような状態となった。

彼女とのこのやりとりを通して、私自身と支配力の強い父との関係も浮かびあがった。長年の父との関係性で、父はもう変わらないからしかたがないと麻痺して受け入れてきた自分の姿が浮かんだ。

父がまわりを支配しようとする背景には、幼少からまわりから差別されてきた劣等感や深く傷ついてきたものがあると感じている。家族関係においては、なかなか意識化しにくいので、だんだんとその関係性が当たり前のものとして固定化し、意識しにくくなっていく。

職場での場合、組織的な異動という措置をとることで物理的な距離を築くことができるが、親子関係の場合は、簡単に断ち切ることができないためにだんだん固定化、病理化が進んでいく。
私は20代初めに家を出て、父との関係性に距離を置いたことで精神的は破綻をせずに何とか生きてこられた。

父は私のみならず家内に対しても同様な働きかけをしてきたことで、家内の中でも過去の色々な不愉快な場面が、吹き出し、それが私にぶつけられるという典型的な構造がここ3年間続いた。
きしくも職場の女性が私に話してくれた日に家内もまた、父からの暴言や不愉快な発言に対しての口惜しさ、憤りが再燃し、見事に同期していた。

私はパートナーシップに関係する7室に月星座と冥王星があり、そのことがより強調されるが、これもまた、私自身の物語として俯瞰して観て、太陽で生きていくための布石であると受け止めている。

先月からフランス在住の辻仁成氏の本を10冊近く、強く惹かれる形で読んできた。
以前のnoteでも書いたが、辻氏の小説でも、職場で年上のシェフと若い女性との関係性が描かれており、人間関係に働く普遍的な要素が象徴的に描かれており、支配しようとする人の奥に何があるのか深く考えさせられる。
最近、読み終えた上下二冊の長編「日付変更線」は日系二世のハワイ人が第二次世界大戦の時代と現代との局面を何人かの登場人物に視点を移す形で展開されているが、過去に生きる人と未来に生きる人との対比が、日付変更線を象徴として時代を越えて描かれている。

マドモアゼル愛先生が動画で繰り返し語られている月に囚われて生きていくことはまさに過去に生きることであり、太陽で生きることとはまさに未来に生きることとも見事に一致する。


紫陽花や火花の走る鐵鋼所



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