子育て と 1人時間
今日も朝から仕事ないなんて〜
ちょっと寂しいような…嬉しい時間❣️
昨日の記事で「パートナーとの1人の時間」について書いたけれど、
3人育てながら自分時間を
どうやって作っていたか…?について
思い出したので。
「1人時間 子育て編」
長女と長男は学年は2つ違いだけど、
産まれ月は年子になる。
大変だった💦おんぶと抱っこ のダブルで
肩が死んでた。
(家の中でグズる時はね)
おまけに、元旦那さん 基本何もしないで
威張る
亭主関白風(本来は自立していて、強い愛情を持った人の事を言うらしいけど)
な大きな子ども。
…これが1番大変だった笑。
いつまでも甘えん坊だったから、バキュームカーのように愛情を吸い取られていた😂
幸い、仕事に忙しい人だったから
日曜日だけが 1ミリも気を抜けない
私は特殊部隊の1番下の部下みたいだった。
出張してる間は天国だった笑。
3番目の次女は長女と7才離れているから、
ものすごい楽だった😊
長女が思春期反抗期の前で、プチお母さんしてくれたからね。
そうそう子どもとの1人時間の取り方だった😊
続けて産まれた長男の時だけ、1年専業主婦していたけど 基本何かしら働いてはいたから、
保育園に預けて、車に乗るとホッとしていた。
本当に小さい時は、2人同時にお昼寝も夜も寝てて欲しくて、 とにかく体を使って一緒に遊んだ。
お陰でその頃は体力もあったな。
何かしたければ、寝る時間を削ってやるか
寝る時間が至福の時♡って
割り切ってた時期もある。
1日24時間しかないからね。
もうダメだ…と言う時は実家に帰って
昼寝させてもらうか、
お金を出して、託児所に1〜2時間お願いしていた。
2才くらいから、自分でやりたがる頃は
とにかく失敗して 掃除する仕事が増えてもいいから やらせる。
(世間に迷惑がかからない程度に)
危ないものは、ただ避けるだけじゃなくて
こう使うと危ない。こうすると痛い。
こうすると大丈夫だけど、痛い思いをするから
見つけたらママに教えてね。
と、何度でも淡々と教える。
自分でやりたい!と ママやってーぇ!
の
自立と依存を繰り返して、自立していくから
昨日出来て、今日出来なくても
「昨日出来たでしょ?なんで出来ないの?」とは
言わず、
「明日はやってくれたら、ママ嬉しい❣️助かるぅー」の
スタンスをひたすら繰り返す。
だって、早く1人時間欲しいからね 😂
少しでも早く自立して欲しいもん。
ジュースを注ぐのも、ご飯をよそるのも、
服を選ぶのも
(すごいコーディネートになる時もあるけど)
今向き合えば 後で楽😊って
自分に言い聞かせて、
イライラした時もたくさんあるけど。
子どもに「親育てしてもらってるんだ」って
思う様にしてた。
3番目次女が産まれる前頃には、
時計の針が ここになるまで(1時間とか)
ママーって呼ばないで寝かせてね。
でも本当に困ったら呼んでね。
と 子どもと距離を置く練習をしていった。
料理も女の子は年長さんのバレンタインから。
長男は、学校で調理実習がはじまる5年生頃から 少しずつ手伝わせてきてみた。
みんな、そこそこ1人で生きて行く力をつけて
欲しくて。
仕事から帰ると、キッチンがグチャグチャ
粉だらけ……(^◇^;)
みたいな日も、未だにある。(中1末っ子のお菓子作り)
「何で片付けないの?」ってつい言っちゃう日もあるけど
ごめんね言いすぎた。次は片付けようね。
お願いね。
約束して、やらせる事もあります。
もう、これの繰り返しです😊
慣れれば勝手にやってくれるように。
たまに夕方 食料準備して
「今日これから、お母さん閉店します。
緊急の時以外呼ばないでください」と
子どもに宣言する日も月1回くらい開催してました。 子たちの保育園〜小学生時代。
3人も子どもいると、
「ねぇママぁ〜」「ママきてーぇ」の連続だもん。
「私は分身の術が使えないので
少しお待ちください。」
今となっては、懐かしい…。
もうね、今は部屋のドア開けただけで
「何? 何用?ドア閉めてってね。」
だもん。🥺。
寝る時間を削らずともnote書けてます。はい。
先日家を出た長女が帰省して
掃除のダメ出しされちゃった💦
普通にはやってると思うけどー。
もう、今そんな頑張ってないから
大掃除の時でいいよー(´∀`=)テヘ。
家を出るまで、 こんなズボラな女の子で
大丈夫か?長女って思ってたけど
大丈夫だったわ😊
子どもも、パートナーも
「これだけやってあげたのに、どうして
お返ししてくれないの?」
「どうして、しっかりしてくれないの?」
愛情の見返り。
この思考は 自分を苦しめちゃうよね。
相手も同じ様に苦しくなる。
私は学んで分かったけれど、
その根っこは 親との関わりだった。
多くは、異性の親。
(私の場合は父親より、母親への思いの捻じ曲がりが強かった)
そこを見直して、
私はこんな風に愛されたかったけど、
お母さんの愛情表現はこっちだったって
気がつく事。
例え、親が離婚していたり関係が悪い状況でも
一時でもそこに愛があったから
自分が産まれてきた。
理解できない形の不器用な愛かもしれない。
天邪鬼な親かもしれないけど。
愛されてたから、ご飯を食べてさせてもらって大きくなって
今生きているんだって気がつく。
その時を思い出すとね、
今の子どもとの向き合い方
パートナーとの関わり方がとっても
楽になるよー😊
(時間がかかる人もいるけどね、しみじみ
ゆっくり思い出す事が大切)
今更だけど、元旦那さんとの関係性も
快適になった。不思議。
家族へは、
自分が好きで こんな風に愛情を
注いでるって
見返りなしでもそうしたい。
客観的に書き出したりしてみる
それを何度もやる。
(無償の愛への成長だね)
するとね、不思議に 自分の時間も
どんどん出来るようになるよ❣️
長々とお読みいただきありがとうございます😊