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【読書】頭の悪い奴は損をする/藤田田(ふじたでん) 日本マクドナルド創業者 1974年 

当時の大蔵大臣の福田赳夫、三越社長・岡田茂らが推薦。

皆さん、わたしのnoteにご興味をいただき、ありがとうございます💁

昨日はかなり久しぶりに近所のマクドナルドに行きました。
ひるマックの、てりやきマックバーガーセットを注文。


1人でしたから、いろいろ「マック」についての思い出にふけってしまいました。

マクドナルドが出来たのは、昭和46年。
当時は、大きな話題を呼びました。
外食産業の走りだったと思います。

「日本でハンバーガーなどは売れない」といった声をよそに、その人気は大爆発。

日本にハンバーガー文化が定着しました。
わたしは、小学生でしたが、両親に連れられて、マクドナルド1号店。
銀座の店舗へ行きました。
銀座三越の一階にあったかと記憶しています。

1万人が殺到した、1号店の開店日。銀座三越。昭和46年。

近年では、あまりマクドナルドは主流の若者のたまり場ではないですが、
20世紀は、マック(関西はマクド)は、学生の憩いの場であり、皆さんも沢山の思い出があることでしょう。
マックを模した、ロッテリアや、モスバーガー、バーガーキングなどもあり、ハンバーガー戦争という時代もありました。

昔は、マックでも、喫煙が許可されていたので、サラリーマンも、店内でタバコをプカプカ吸い、テーブルの灰皿にはタバコの吸い殻がよくたまっていました。
そうしたサラリーマン、大学生、JKらが一堂に会する不思議でカオスな空間。それがマック。

個人的には、新宿や池袋、お茶の水という都心部や、23区東の居住地で、
時間を過ごしたことが懐かしくもあります。

日本全国、皆さんの住む町のどこにでもあるハンバーガー店。
それがマックでしたよね。

現在は、スターバックスにその座を奪われた感のあることは否めません。
そのスタバも銀座が1号店。
職場が銀座でしたから、マロニエ通り付近にあった大型店舗のスタバと、マックに交互に通っていた時代を思い出したりします。

あるマニアックな「住みたくない街」を研究する、居住地に関するウンチク本によれば。

「スタバのある街は富裕層が多い街。マクドナルドや牛丼チェーン店のある街は、多数の貧乏人が生息しており、民度が低く、治安が悪い街」


と分析されていました。

差別感満載な表現ですが、確かにスタバは、安くはないので、あまり、お金に困っているような人や、ガラの悪い人は見かけませんね。

これから、新居を探す人は、参考にしても良いかも知れません。


さて、タイトルの本ですが、こちらは、私が小学生のときに買って読みました。

「頭が悪いと損をする」という、刺激的なタイトル。

まだ、小学生でしたが、学級委員だった自分は、クラスの子を一人一人観察するのが日常でした。

勉強の出来る子と、出来ない子。スポーツの得意な子と、そうでない子。

そこで気づいたのは・・・・

「勉強の出来る子のおうちはお金持ちで、出来ない子は・・・・だな」と。

そして、勉強の出来る子は、だいたい、運動神経もいいんです。

さらに、その先も想像しました。

頭が良い子は、親も頭が良いのだろう。そうでない子は、親も・・・だろう。

ということは、この子たちが大人になったら、きっと人生に大きく違いが出るに違いない。

「勉強の出来る子は、金持ちになるだろうし、出来ない子は、ほぼ貧乏確定だろうな」

子供のクセに、福澤諭吉の「学問のすすめ」に書いてあるようなことがひらめいていました。

そのようなことを考えていたのは、わたしだけではなかったでしょう。

頭の良しあしと、貧富の差は大いに関係しているということは、太古の昔からの暗黙の了解でした。

その予感は見事に的中しました。

「お金がない、お金がない」


と、毎日毎日、嘆いている人。

「生活苦しい。消費税が上がって大変!!」

「子供にお金がかかり過ぎ。政府は対策をなんとかして!!」

「物価高でキツイ。助けて!!」

そして、給与が振り込まれると、即時、ATMに並ぶ人たち。

リボ払いする人。

毎回、毎回、宝くじを買う人。

宝くじの1等が出る確率は、旅客機が墜落する確率とほぼ同じ確率だというのに、一攫千金を狙って、一生買い続けている。
頭悪すぎ。単純なそんな確率も分からないの??

スーパーのタマゴの100円セールという価格に釣られて、開店から行列する人たち。

血相を変えて、我先にと、死に物狂いで、安物買いをする人たち。

そのような人たちは、もう、判断もつかなくなって、解決策もわかないし、場合によっては、何もうまく行かずに、人にカンタンに騙されたりするのですね。お金がなくて、身動きが取れなくなる人も多い。

「貧すれば鈍する」

と、いうことなんです。

こんな人たちとは別に、物事に動じず、多少の世の中の変動を意に介せず、涼しい顔をして、生活をしている人たちも、わたしの周りにも、かなりいます。

そうした人たちは、業務スーパーとか、コンビニとか、ダイソーとかには、
間違っても行かないです。

ついでに言うと、サイゼリヤや、牛丼屋などにも足を運びません。


世の中には、いろいろと成功して、お金持ちになっている人たちがいますよね。

経営の神様の松下幸之助さんは、成功した理由を、

「いやいや、ただ運が良かっただけですよ」と答えていました。

作詞家の秋元康さんは、人生で成功する秘訣は、「運」です。

と、おっしゃっていました。

こういうご謙遜を真に受けちゃってますか??

人に、ねたまれたり、うらまれたりしないようなポジショントークですよ。

わたしなども、大したことはないですが、

「よく次々と事業を起こされて、すごいですな。。どうやって、そういうことが出来るのですかね?」

「キラキラしたご経歴でステキですね。そんな方のお話が是非聞きたいです」

なんて、質問をよくされます。

「何をやっても、ダメで、お金にも女にも縁がないんです。。。参りました」

「なんで、こんなに人生うまくいかないんでしょうか」

「ぜんぜん、女に相手にされません。モテません。どうしてなんすかねー」

「いつまで経っても、お金がたまりません。稼げません」

「男にフラれたり、遊ばれたり、騙されたりばかりで・・・」

などど、言われる方も沢山います。

わたしは、松下さんや秋元さんのように、大富豪でもないし、大成功者でもない。

ましてや、聖人君子でもないので、めちゃくちゃ口も悪い。

ですから、ハッキリ言いますよ。


「そりゃー、あなたが、頭が悪いからでしょ??」

「本の一冊でも読んで勉強したらどうですか??」


「頭が悪いと、損ばっかりですから!!」


これで、タイトル回収できましたでしょうか😅


著者紹介

藤田 田(ふじた でん、1926年〈大正15年〉3月13日 - 2004年〈平成16年〉4月21日)は、日本の実業家。大阪府大阪市東淀川区(現・淀川区)生まれ。輸入雑貨販売店「藤田商店」、「日本マクドナルド」、「日本トイザらス」「日本ブロックバスター」創業者。東京大学法学部卒業。

日本マクドナルド創業以降

その後、1971年(昭和46年)に日本マクドナルド、1989年(平成元年)に日本トイザらス(アメリカのおもちゃ専門チェーントイザらスの日本法人)、1991年(平成3年)に日本ブロックバスター(アメリカのレンタルビデオチェーン「ブロックバスター」の日本法人)を展開。また、世界一のネクタイ・スカーフ製造販売会社である英国タイラック社と提携し、日本タイラックを創業する。

マクドナルドやトイザらスのようなファミリー向けの健全な娯楽としてブロックバスターを展開(マクドナルド、トイザらス、ブロックバスターの頭文字を取り「MTB構想」と呼んだ)したが、結果的には38店の全店舗を1999年(平成11年)11月にゲオへ売却した。

藤田商店の稼ぎ頭であったマクドナルドの経営においては、日本全国で「価格競争」を引き起こすなど、経済感覚、会社経営に長けたカリスマ的人物であったが、晩年は日本マクドナルドの業績が迷走するなどそれらに翳りが見えた。

会長退任
2000年(平成12年)2月からは「平日半額セール」などの新戦略を展開。デフレ下でも業績を伸ばし、2001年(平成13年)7月26日にはジャスダック市場に上場を果たした。日本マクドナルドは「デフレ時代の勝ち組」、社長の藤田は「ハンバーガー王」と謳われた。しかし「インフレが来る」と半額セールを打ち切ったことで客数が減り再び値下げするなど、価格政策の迷走で経営が悪化したことや、BSEの影響により客離れを引き起こし、同2001年(平成13年)に創業以来初の赤字に転落。2002年(平成14年)7月、日本マクドナルドの不振や自らの体調不良などにより社長を辞任。2002年3月、会長兼CEOに就任。2002年(平成14年)12月期連結決算で創業以来の最終赤字になったことから、2003年3月28日の株主総会後に会長を退任した。

日本マクドナルドの経営から退いた後は、公の場に出る機会は少なくなり、2004年(平成16年)4月21日、心不全のため東京都内の病院で死去。葬儀・告別式は近親者のみにて営んだ。78歳没。遺産総額は、約491億円。歴代6位だった。

人物
経営者としての顔のほか、著述家としての一面を持っていた。『ユダヤの商法 世界経済を動かす』 (1972年)はベストセラーになった。「78:22の法則」「ユダヤ教徒になれ」「金持ちから流行らせろ」などの主張を盛り込んだ。また、日本語の研究と金儲け(株)が趣味で、日本マクドナルドを創業する際も、「McDonald's」を、英語の発音に忠実なカナ表記である『マク-ダーナルズ、または、マク-ダーヌルズ』とせずにアメリカ本社の反対を押し切り「日本語的に馴染みやすい3・3の韻になるよう」に『マクド-ナルド』とするなど、本業にもその成果を反映させた。

電車内では気軽に隣席の乗客に声をかける、タクシーに乗ったら必ずドライバーと会話をするなど、情報収集と人に溶け込む能力を、常日頃から磨くよう心がけていた。

最初の10年は毎月5万円、次の10年は10万円、次の10年は15万円と積立預金を30年間して、約1億円貯めた。なお、計算上では5万円からスタートし3年毎に5万ずつ上げていくと利息こみで30年で1億程度になると思われる。

高校生であった孫正義の訪問を受け、コンピューター関連を学ぶように助言した。後に成功した孫に食事に招待され、非常に感激し、孫の会社に自社パソコン300台を発注したという。

家族
長男の藤田元は株式会社藤田商店代表取締役社長、東京タワー蝋人形館元館長。次男の藤田完は藤田商店代表取締役副社長。

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