学問のすすめから学んだこと~「学歴社会」は格差作ろう社会~階級格差の根源にひそむもの
皆さん、わたしのnoteにご興味をいただき、ありがとうございます💁
学問のすすめを復習
唐突だが、福澤諭吉の著作、「学問のすすめ」をおさらいしてみると。
冒頭の有名な出だしから、この本の「要」となる部分だけを抜粋してみる。
福澤諭吉は、「人間はみな平等」どころか、身分には差があると指摘している。
さらに、現在における、職業差別や、学歴差別を助長するようなことまで書いている。
およそ、今であれば「職業に貴賎なし」とか、「学歴社会はよろしくない」
のような、きれいごとは通用しないと主張しているわけだ。
近代社会の身分制度
コロナ禍の今現在。猛烈な勢いで、「格差社会」が広がっている。
世界規模でいえば、Teslaや、GAFAM(Google、Amazon、Facebook&Instagram(現・Meta)、Apple、Microsoft)といった、途方もない大企業の経営者や従業員らが、巨万の富を独占していことはお気づきであろう。
これら世界規模の大企業の創業者たちは言うまでもなく、アメリカの有名大学の出身者。従業員もまたそうなのであろう。
日本であれば、このような具合だ。
彼らが真剣に学問をしていたかどうかは、図りかねるが、とりあえず、最終学歴も記しておこう。
個人資産保有額ベスト5
1位 2兆7670億円 柳井正 ファーストリティング(ユニクロ)創業者
早稲田大学政治経済学部
2位 2兆6670億円 孫正義 ソフトバンク創業者
カリフォルニア大学バークレー校
3位 2兆670億円 滝崎武光 キーエンス創業者
兵庫県立尼崎工業高等学校
4位 1兆2000億円 佐治信忠 サントリーホールディングス会長
慶応義塾大学経済学部
5位 6670億円 三木谷浩史 楽天グループ創業者
一橋大学商学部。ハードード大学経営大学院修了(MBA取得)
柳井さんと孫さんの奥様たちもまた、これとは別に個人資産を、数1000億以上保有していることにも注目したい。
これ以外にも、ここ数年、急成長を遂げている会社に、
みなさんにもおなじみの「メルカリ」や、「エウレカ(マッチングアプリ・ペアーズ運営会社)」がある。
周知のように、メルカリの山田さんは、早稲田大学、エウレカの赤坂さんは、法政大学の出身者。
「日本一高年収の会社」として有名なキーエンスの滝崎さんは、唯一の高卒。
キーエンスは、どのような人材を採用しているのか??
こちらの会社への応募に関しては、エントリーシートも必要なく、特別な学歴フィルターも存在しない。よって、他の一流企業よりはハードルは低めだ。あくまで、本人の人間性重視で、入社後の実力を要求している。
しかし、過去の採用大学実績を見てみると、「日東駒専」レベル以上を採用しており、院卒もかなり多い。そして、大卒以上が必須条件とされている。
コロナ禍で受けたダメージ、消費税率の引き上げ、物価高、電気代などのエネルギー額の高騰、上がらない賃金などで、苦しんでいる庶民が大勢いる中で、冬のボーナスが、500万であるとか、今までにない額の年収がアップしている企業もある。
彼らは、富を得ているだけではなく、膨大な税金を納めているのであるから、社会貢献をしているということで、誰からも批判される道理はない。
むしろ、我々庶民は彼らに感謝して然りなのかも知れない。
「一億中流社会」と昭和期に呼ばれていた日本もまた、格差が広がり、いつのまにか、それは、余りにも大きな身分制度を生み出しているようにも思える。
資本家階級・労働者階級(正社員・派遣・アルバイト・パート・フリーター)
のような階級格差が広がっている。
このような「階級格差」の根源は、いろいろな経済学者などが言うには、
「学歴によって生じた格差」だとも説明されている。
下記リンク先は、ぜひ、ご覧になって下さい。
「学歴社会の問題点や、これからの課題」の対談形式で説明されています。
無論、日本や世界には、表面上は、「身分制度」などは存在しない。
黒人が奴隷とされていた時代はとうの昔に消滅したし、あの悪しき「カースト制度」も撤廃されている。イギリスでの「貴族階級と労働者階級」も建前としては明らかに定められているわけでもない。
日本でも、「四民平等」とされた時代は明治初期に確立されている。
近年では、あろうことか、江戸時代に、「士農工商」という身分制度は、そもそもなかったという説まで流布(るふ)されている。
既に、読まれた方には、分かると思うが、著名な一文がある。
それは、マルクスとエンゲルスの『共産党宣言』(1848年)においてのキモとなっている部分。
「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」
このわずか一行に過ぎない名文句は、階級闘争こそが、社会発展の原動力としてみなされ、位置づけられている。
マルクスやエンゲルスは、資本家階級(いわゆる富裕層や特権階級)を打倒しなくては、一般庶民の道は開けないと、扇動していたわけだ。
そして、それは、ロシアのレーニンらによって、実現され、世界中に社会主義・共産主義国家が誕生したのは、ご存じの通り。
このような発想はかなり古くからあって、その起源は、お隣の中国に始まるのだろうか。
こちらも、かなり有名な名文句。
中国初の統一国家、「秦」の圧政に耐えかねて、ヤケクソになって言い放った、一介の農民に過ぎない陳勝の名言。
王侯将相寧んぞ種あらんや
(おうこうしょうしょう いずくんぞ しゅあらんや)
すなわち、「王と諸侯と将軍と大臣になるのに、どうして決まった種族などがあろうか」の意味で使われた言葉。
高貴な身分になるのに家柄や血統などは関係なく才能と努力によるものであると言うことを表わしている。
日本では、戦国時代の「下剋上」というものがあり、織田信長が織田本家を滅ぼし、管領の斯波氏を放逐し、遂には、将軍足利義昭を追放して、室町幕府を葬ってしまった。
信長は天下統一の志半ばで、暗殺され、その意志は部下の豊臣秀吉が継承して、見事にそれを実現してみせた。
先述した陳勝の元には人々が結集して、彼は張楚の国王になり、彼に任命された、周文将軍率いる反乱軍が、破竹の勢いで、秦の首都である咸陽に迫り、あわや、彼は皇帝になるはずだった。
しかし、秦の名将、章邯が囚人20万人に武器を与え、これを反乱軍に当てるという策を献じ、自らその軍を率いた。
戦功を挙げれば罪が許される囚人たちは決死の兵となり、周文の軍を打ち破り、周文を自決に追い込んだ。さらに勢いに乗った章邯は、陳勝を敗走させ、張楚は壊滅。
その後、反乱軍を率いた項梁に対して章邯は、項梁を死地に誘い込み、夜襲をかけて項梁を討ち取った。
これで、秦は大方の反乱軍を討伐し、また、秦は盤石の国家として息を吹き返すかのように見えた。
が、ここで、項梁の甥の項羽が歴史を揺るがすことに。
紀元前207年、決死の覚悟で反乱軍で立ち向かう項羽の前に、官軍の蘇角が戦死し、渉間が自決を遂げ、王離が捕虜となり反乱軍は勢いづき、さらに項羽は章邯軍の前まで一気に進軍し、秦軍は連敗を重ねた。
章邯は司馬欣を都に送り皇帝に指示を請うが、逆に宮中の腐敗や趙高によってあらぬ罪を着せられ家族が処刑されたことを知った司馬欣に「功を立てても誅殺され、功を立てなくても誅殺される」と言われ、殷墟で将兵と共に項羽に降伏した。これを「鉅鹿の戦い」という。
これと同時進行で、咸陽を落としたのが、劉邦。
秦の三世とされた、子嬰は劉邦に降伏。
ここに秦はあえなく滅亡した。
だが、あくまで、武力で秦の主力軍を壊滅させたのは項羽であり、項羽は西楚の覇王として、劉邦らは項羽の新しい国家体制の一王に任命される。
であれば、豊臣秀吉と、項羽は、新国家の樹立者であるから、その国家の最高権力者となり、彼らの子孫は代々繁栄するかのように誰しもが思ったことだろう。
しかし、現実は異なっていた。
豊臣秀吉の死後に、息子の秀頼は大阪城落城と共に自決。「大阪夏の陣」
項羽は、劉邦によって殺害されている。「垓下の戦い」
国家を築くどころか、それすらもままならなかった。
劉邦は「漢」を起こし、豊臣家を滅ぼした徳川家康は、「江戸幕府」を阻むような権威的存在を抹殺した。
項羽は、「学問などは、自分の名前が書ける程度で十分だから必要ない」という考えの持ち主だったし、秀吉も、学問を奨励した気配は感じられない。
この二人は、「武力」だけで、その地位を得たに過ぎない。
項羽は、敵対勢力を容赦なく大量虐殺し、秀吉も朝鮮出兵で、敵国や日本からも恨みや反感を買っている。
一方、劉邦も学問や儒教には関心はなく、むしろ毛嫌いしている。
だが、劉邦は、度量が広いので、側近の蕭何や賈誼(かぎ)のような儒者たちの進言をよく聞いて、彼の子孫たる歴代皇帝たちは、学問を奨励した結果、漢は400年余りの長命王朝となっている。
家康も、唐の太宗の言行録である、「貞観政要」などを読み、学問の重要性を学び、徳川幕府の歴代将軍らは、学問を大いに取り入れている。
「徳川将軍に暗君なし」とよく言われるように、少し風変わりな将軍もいたが、基本、ひどすぎる将軍は見当たらず、最後の将軍となった、徳川慶喜は、天皇に政権を返上して(大政奉還)、明治維新後も、難を逃れて、徳川家の命脈は保たれ、権力こそ奪われたが、子孫たちは滅びることはなかった。
まとめ
話が整理しきれなかったが、
人民、国民が納得できる国家というものは、
「武力」だけでなく、「権力者の人徳」、「学問の奨励」
という3つの要素が必要であることが分かった。
「徳」もなく、学問をないがしろにするような国家は早急に滅びていることは歴史上の厳然たる事実。
資本家階級も、労働者階級も、学問を怠ると、等しく、愚かで貧乏になるということを踏まえつつ、日々、何かしらの「学び」を得ることが重要だと思いました。
参考とするために、ちょっと、いろいろな大学のホームページを見ていました。
すると、慶應の塾長(学長)が、わたしより年下でした。。。
「ああ、もうこういう時代になったのだ」と痛感。
これは、ウカウカしてられません。
現状をなんとか変えていかないといけませんね。
最後までお読み頂きありがとうございました😊これからも頑張りますので、良かったらスキやフォローをお願いします💖
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