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#33『我が闘争』〜堀江貴文著を読んでみました。
アンチでもなければ、推しでもなく、SNS等で記事が目に止まれば読み、時にVoicyの無料配信聞く程度の距離感で触れてきた堀江貴文さん。
岡田斗司夫さんの配信を聞いて『我が闘争』に興味を持ち、堀江さんの著作を初めて購入・読了しました。
漫画・アニメに興味がなく、岡田斗司夫さんがオタキング、と呼ばれている事は2年ほど前に知ったばかりですが、朝日新聞で人生相談「悩みのるつぼ」の回答者を務められていらした頃から、岡田さんの斜め上からの回答に脱帽しておりました。
岡田さんは、本放送の中で「著者と自分の相違点と類似点を考えながら読む」ことをお勧めされており、今回は特にそこを意識しました。
東大生時代、麻雀、競馬に嵌り、中学生でパソコンを手に入れて以降はゲームを自作したり遊んだりしたそうです。わたしは、賭け事やゲームには百円すら使うのが惜しく、その手の沼に嵌ることが出来ません。
学校に行かず、競馬に嵌っていたそうですが、わたしは時にサボることがあっても、出席日数が不足するほど休む事もしない。
自由人堀江さんと対比すると、型に収まろうとする行動を取るところに大きな違いがあります。
仕事に対する向き合い方も違います。寝食も惜しんで仕事に没頭し、人生=仕事、生きる=仕事というように、仕事の無い人生はあり得ない、と仕事をとても大切にされている堀江さん。
かたや私は、大学卒業したら就職するもの、というレールの上をひた走るしか脳のない人間でした。
やりたいことをビジネスと結びつける堀江さん、仕事は必要だと捉えと趣味的なことをビジネス化する事は到底無理という前提から抜け出せないわたし、ここも大きな違いです。
やりたい仕事のためには、借金やレバレッジも厭わないスタンスになるほど、と深く頷きつつ、わたしの辞書に借金の掲載は無いです。
はっきりとした違いがあり、目指す方向が違うため、堀江さんの有料コンテンツに近づかなかった理由だと、今回認識できました。
本著作を通じて、多少ではありますが類似点がありました。そこで、アンチにはならず、親近感を覚えつつ無料のコンテンツには触れてきたのかな、と思いました。
時に涙しながら自身の希望を訴える、酷くショックを受けて寡黙になる、という子供の頃の事例を挙げていらっしゃいました。泣き叫ぶ、というよりも、泣きながら要望を訴える、という行動を取ることがあった様に記憶しているので、この辺りは共感を覚えました。
所謂、ライブドア事件については、当時も深く理解していませんでしたし、記憶も薄らいでおり、また、事件についての別書籍があるため、本著作では当事件については詳細は触れないということです。そのスタンスで、心情的なことを書いてくださっています。
「罪を認めて、執行猶予を狙え」 そんなアドバイスを何度もらったかわからない。でも僕にはどうしてもできなかった。 そんな気持ち悪いことはできない。そんな生き方なんて嫌だ。 株主たちへの説明もつかない。それでは、もはや僕が僕ではなくなってしまう。
しかし常に前だけを向いてきた僕は、知らぬ間に様々な場所で摩擦や軋轢を生んでいることに気がついていなかった。前へ前へと急ぐ僕に追い越された人、競争の中で転んでしまった人たちがいても、見て見ぬ振りをしていた。図らずもなぎ倒したり、踏みつけたりしてしまった人たちも含めると、相当な数の人から怒りを買ってもいたのだろう。 それは僕が自分の人生や、自分がやるべきことに集中してきたせいなので致し方ないことなのだが、一つだけ反省しているのは、誰かに誤解されても、それを放置し、「結果だけがすべてだ」と言い放ってきたことだ。 本当は誤解なんかされたくない。自分のことを理解してもらいたいという気持ちは人一倍強いのに。 それなのに僕には自分に余裕がなくなると、どこか露悪的になってしまうという癖があるのだ。そして始終焦っていた僕は、いつも余裕がなかったわけで、結果的にものすごく露悪的な人間になってしまっていたのだと思う。 理解できない人には、説明する必要もないという態度になってしまっていた。 これについては反省の余地がありそうだ。だって「結果だけがすべてだ」と言い続けてきた僕の結果が、2年6カ月の懲役刑だったのだから。
わたしも、たとえ損することになっても、やってもいないことは認められないです。そして、露悪的な行動で痛い目にあったことが幾度となくあり、その行動は自分の首を絞めることになると痛感し、歳を重ねて攻撃性が衰えて、漸く露悪性が薄らいだ所だったので、これまでを振り返りし、共感を覚えました。
その宮内氏がまさかこんなことをしていたなんて。 拘置所内で彼の調書を読んだ時から僕に罪を着せるつもりだとは分かっていたのだが、その裏にはこの横領が露見しないようにという意図もあったというわけだ。 怒りを超えて、もはや哀れとさえ思えてきた。 彼はきっと僕が羨ましかったのだろう。創業者として莫大なキャピタルゲインを得ていた僕が。そこで得た利益は会社の投資資金へ充当していた。
宮内氏は学歴詐称もされていたそうです。そこから、羨ましかったのは、キャピタルゲンだけでは無いかな、と思いました。堀江さんに対して、巨大なコンプレックスを抱えていただろうと想像します。堀江さんはご自身のコンプレックスを言語化し表明されています。それが出来るのは、コンプレックスを上回る自信と強さがあるからでしょう。そういう振る舞いを随所に表す堀江さんに対して、羨ましさを超えて妬みも抱えていたはずです。わたしは、宮内氏に哀れさよりも、怖さを感じました。
本著作を拝読するきっかけとなった岡田さんのVoicyでは、続いて、堀江さんとの3時間対談を放送されました。これもながら聞きで楽しませて頂きました。
『我が闘争』の前半で、お母様の弟さんと馬が合い、幼い頃はよく時間を共にしたということが書かれています。岡田さんは、堀江さんを失礼態度とおっしゃっていますが、お二人の対談は何でも包み込んでくれる叔父さんとの会話のようで心地よかったです。
以上です。