究極のジャーナリズム
「ほらぁ!そんなとこにいたら邪魔だよ!」
会社帰りに仕事で使う食材を買うために寄ったスーパーで、途中トイレに向かった通路に、ちょうど通路をふさぐ感じでカートを引いていた幼い女の子に父親と思われる人がそう言った。
わたしがここを通ってしまったせいで怒らないであげてくれって思いながら、もしそんな一言が自らの子供と交わす最後の言葉だったとしたら…?とふと考えた。
前からすごく気になっていた本があった。ジャーナリストの清水潔さん著の「殺人犯はそこにいる」という本だ。
この本は足利事件という幼女殺害事件の犯人が、無期懲役の刑が確定し服役していたにもかかわらず実は冤罪で、真犯人に迫るまでを追ったリアルドキュメンタリーと呼べる本なわけだが。リアルドキュメンタリーだから実際に現実としてこの国で起こったことが記されている。当時はこの事の重大さにそれほどまで注視はしていなかった。でも読み進めていくうちにこれは本当にとんでもない出来事で、法律の専門家でも、公的権力のある人でもないひとりの記者が、国までを動かすってそうそうないよなってただただ感心しながらあっという間に読んでしまったのだ。しかも、この本にはわたしの個人的にとてもお世話になっている方も実名で、そしてなかなかの主要キャストとして登場してきたのが、何よりもうれしくもあり、同時に深い尊敬の念が生まれたのも事実である。この事件は去年放送されたドラマ「エルピス」の元となった事件であるということも紹介しておきたい。
遅ればせながらエルピスを拝見した。とても面白かったし、長澤まさみさんは本当に美しい。鈴木亮平さんはかっこいい。個人的に突っ込みたいところは結構あったけど、作品としては良作だと思う。
実際の事件で犯人とされた菅谷利和さん。無実の罪で17年も服役した。わたしもある意味自分の意志とは無関係にエホバの証人として20年間を無駄に過ごさせられた。取り戻したくても二度と取り戻せない。どれだけお金を積んだとしても、決して戻すことができないのが時間だ。やりきれない気持ちは、わたしにもわずかかもしれないがわかるつもりだ。警察の脅迫に近い取り調べによって自白に追い込まれた供述と、当時まだ精度が著しく低かったDNA型鑑定の結果。この2点でゆるぎない犯人とされ、想像もできないほどの絶望を味わったことだろう。それでも菅谷さんは諦めなかった。清水さんも諦めなかった。
巨大に立ちはだかるこの2つの壁を、気の遠くなるような地道な努力で崩して初めて冤罪が証明されていくわけだが。
この世界は自然界と同じ。ジャングルには猛獣がいて、彼らは目に見えない縄張りを張っている。そこにどこに何がいるかもわからないガキが、棒を振り回したら大変な目に遭うぞ。
ドラマの中のセリフだ。まさにそんな感じだったはず。真実は時として、それを明らかにされたら困る人がいて、とてつもなく大きな権力によって真実が真実でなく、蓋をされ、アンタッチャブルなものになっていく。それに触れようとすることにはとてつもない障害があったはずだ。何年もかけてようやく小さな声が、形になり国まで動かしたって本当ゾクゾクする。
それでも100%思いが叶ったわけではないんだよね。そう、真犯人はまだ捕まっていないのだ。ほぼほぼこの人で確定ってところまで特定されているにもかかわらず。
こんなことあっていいんですか?「殺人犯はそこにいる」まさにこれ。今自分が住んでいる街にひっそり潜んでいるのかもしれないのだ。これを野放しにしている検察警察は公的機関として君臨し続けていいのでしょうか?犯人が特定されていて、検挙されていないケースって他にも結構ある。城丸君事件、足立区女性教師殺人事件とか。これらのケースって本当どう取り扱ってるのかな、逮捕はできないけど最低限一生監視下に置かれたりしないものなのか。そうでなければ安心して生活できないのではないか。犯人にしてみればまさに逃げ得。それでもたいていの人は、そんなことにいちいち気にも留めずに生活していくわけだけども。この国は一応民主主義のはず。最初は小さな声でもみんなが声を上げればそれは世論となり、国を動かすことだってできる…。のはずなのに、ほとんどの人は無関心だ。わたしも少なからず感じている。SNSで事件系の話題を振っても、反応は薄い。手作り料理とか、音楽ネタはそれなりにウケるけど、こういうシリアスな社会問題に食い込んだ話題は関心がないようだ。当事者にならなければきっとわからないものなのだろう。でも、当事者になってからでは遅いのだ。
失われた時間も、命も。失われてからでは戻ってこないのだ。特に足利事件を含めた北関東連続幼女殺害事件なんてのは、被害者は本当何の罪もない幼い女の子たちだ。失われずに済んだ命はきっといくつもあるのではないかと考えてしまう。
時効が過ぎていたとしても、重大事件である程度被疑者に目星がついている場合は、捜査すべきだし、検挙して然るべき裁きを受けるべきだ。
逃げ得を許し、被害者または遺族が失い損の世の中ではいけない。
そう思いませんか?わたしだけおかしいのかな?
ちなみにこの本の中では、飯塚事件の冤罪の可能性も指摘している。わたしは正直、飯塚事件の冤罪の可能性はないかなぁと勝手に思っていたけど、怪しいところは確かにたくさんありそう。だからこそ再審は必要だと思う。真実は公正に明らかになって欲しい。メンツとか、威信とか、どうでもいいではないか。検察警察に非があって、誤りがあるなら、潔く認めればいいのに。間違いがあったら謝る。子供の時からそう教えられてきたはずだし、これからの子供にもそう教えていくはずなのだから。
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