Take

調理師として働く一方、コピバン1つとオリジナルバンド2つでボーカルやらせて頂いています。 自分の日常と半生を少しずつ書いていこうかと思っています。

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調理師として働く一方、コピバン1つとオリジナルバンド2つでボーカルやらせて頂いています。 自分の日常と半生を少しずつ書いていこうかと思っています。

最近の記事

とある宗教の親に育てられた自らの半生⑩

このシリーズも10回目を迎えて、時代は高校時代にまで来た。年代で言うと1998年‐2001年あたりのことである。わたしが組織を脱会したのは2003年のことであるから、高校を卒業してから約2年の月日を要したことになる。今回はもう少し高校時代のエピソードを書き加えておきたいと思う。年代的には、キレる17歳世代と言われた世代とドンピシャの世代なわけだが、モーニング娘。が全盛期で、浜崎あゆみもギャルのカリスマと呼ばれていたあの時代。MDウォークマンも常に携帯していたし、CD-Rなんか

    • 知って欲しい事件ファイル③ 現地リポートあり

      わたしの記事の中でも実は断トツに読まれているこのシリーズ、今回はかなり昔の事件を取り上げたいと思う。しかも今回は現地まで行ってきたので、現地リポートも添えてお伝えする。 関東大震災が起きたのは、今から101年前。1923年9月1日の午前11時58分とされている。死者・行方不明者は合わせて10万人超え。1995年の阪神大震災の死者が6000人超、2011年の東日本大震災の死者が約2万人というところを比べると、圧倒的に被害が大きかったことがよくわかる。しかも当時の日本の人口自体

      • とある宗教の親に育てられた自らの半生⑨

        2024年の夏が過ぎ去ろうとしている。毎年言うけど今年の夏は暑かった。きっと来年もこのセリフを言うのだろう。 子供とたくさんの時間を過ごした。泊りがけで旅行は行けなかったけど、いろんなところに連れて行った。あと何年一緒に行動してくれるのだろう。 ちなみに、高校生の連れ子のお兄ちゃんも今夏結構一緒に行動したから、意外と長くどこでもついてきてくれるかもしれない。 またしても半年ほどこのシリーズ、期間が開いてしまった。高校時代の話の続きなのだが、そういえば高校時代の私を知る友

        • 知って欲しい事件ファイル②

          1968年10月のことである。29歳になった相沢チヨ。彼女には同じ会社に勤める7歳年下の恋人がいた。事情あって子供がいたチヨは正直にそのことを打ち明けるも、彼はそれでも構わないと言って、受け入れてくれた。そして仕事終わりにデートを重ね仲を深めていき、ついに彼はチヨにプロポーズをした。チヨも彼の誠実さにますます惹かれプロポーズを受け入れた。 そして同じ家に住む父親にそのことを報告しにいった。「お父さん、私結婚してもいい?」 すると父親は激怒した。「相手はどこのどいつだ。ぶっ

          とある宗教の親に育てられた自らの半生⑧

          先日、機会あって今まで飲んだことの無いお酒を飲ませていただいた。個人的にあまりお酒に強くないので、たくさんの種類を少しづつ頂いたのだがどれも一級品で、味わい深かった。 この歳になって、ウイスキーに目覚めてしまったかもしれない。現に既にその時に気に入ったボトルを1本購入してしまった。あまり自分の人生において触れてこなかった世界だけど、お酒のたしなみもなかなか奥が深くて、楽しいものだ。程よく人生を彩るスパイスとして今後、いろいろ勉強してみたいとも思った。 さて、このシリーズも

          とある宗教の親に育てられた自らの半生⑧

          とある宗教の親に育てられた自らの半生⑦

          またしても更新が途切れてしまった。前回の更新が去年の4月だった。どうもこの話題になると物を書く意欲があがってこない。自分の黒歴史と向き合わなければならないからなのだろうか。 先日、わたしのこのテーマを読んでくれているという方に直接お会いする機会があった。その際に「⑥で止まっちゃてるじゃないですか」なんてケツを叩かれた。こういったことが何回かあった。とてもありがたいことだ。なので今回久しぶりに続きを書いてみようと思う。 前回までは、わたしがバプテスマを受けることになった経緯

          とある宗教の親に育てられた自らの半生⑦

          知って欲しい事件ファイル①

          郊外のショッピングモール。週末には多くの家族で賑わい、駐車場に車を停めるのも一苦労…なんて経験した人は多くいるのではないか。 そんなショッピングモールで何を目的とするでもなく、フラフラと店を冷やかしながら歩いていると突然、「キャーッ!泥棒~っ!」という声が聞こえてきた。 慌てて声の方を振り向くと、ATMの前で中年の男性と幼い子供を抱えた若いママが揉み合いになっている。 声の主は若いママの方だ。 声を聞き数人の店員と客がすぐさま駆け付け、中年の男を取り押さえ始めた。 「違う!俺

          知って欲しい事件ファイル①

          職人魂

          人間誰しも好き嫌いというものがあって、趣味嗜好というのは実に多種多様、千差万別であろう。子供の頃から好きなものもあれば、大人になってからのものもあれば、最近になってハマっているものも少なからずみんな持ってるはずだ。 わたしは、音楽も大好きだしそれこそ中学生の頃からギターを弾き始めて未だに音楽をやり続けているわけだが、趣味はそれだけではないのだ。 歴史もかなりのマニアである。主に日本史だが、どちらかと言うとみんな大好き戦国時代よりも、幕末~昭和史の方が好きである。 あとはこれは

          京アニ放火殺人の判決

          今日2024年1月25日に2019年に起こった京都アニメーション放火殺人事件の判決が出た。 判決は死刑。 日本犯罪史上最も多くの死者36人を出したこの事件、死刑を支持する者にとっては当然の判決かと思われる。 この事件の裁判で争点となっていたのは単純明快で、被告の責任能力であろう。 要は心身喪失か、心神耗弱であったのか。 それがあれば死刑か、無期懲役か、あるいは無罪かというところだ。 結果としては責任能力はありと認められ、死刑が下ったわけだが。 この心身喪失、心身耗弱によって減

          京アニ放火殺人の判決

          究極のジャーナリズム

          「ほらぁ!そんなとこにいたら邪魔だよ!」 会社帰りに仕事で使う食材を買うために寄ったスーパーで、途中トイレに向かった通路に、ちょうど通路をふさぐ感じでカートを引いていた幼い女の子に父親と思われる人がそう言った。 わたしがここを通ってしまったせいで怒らないであげてくれって思いながら、もしそんな一言が自らの子供と交わす最後の言葉だったとしたら…?とふと考えた。 前からすごく気になっていた本があった。ジャーナリストの清水潔さん著の「殺人犯はそこにいる」という本だ。 この本は

          究極のジャーナリズム

          魂の遍歴 すべての罪はわが身にありを読んで

          1995年3月20日。オウム真理教によって日本の犯罪史上、類を見ない史上最悪の無差別テロ事件、地下鉄サリン事件が発生した。今から約28年前の出来事で若い人たちは知らない人も多いことだろう。 実行犯として大きな役割を果たし、サリン事件以外のオウムが犯した様々な凶悪事件においても中心的な役割を担ったとされる井上嘉浩元死刑囚。 その井上の5000枚に及ぶ獄中手記に基づいて作られたドキュメンタリー本。 オウム真理教において教祖である麻原彰晃の側近中の側近にして修行の鬼。オウム=井

          魂の遍歴 すべての罪はわが身にありを読んで

          ドラえもんの最終回

          子供のころに見ることが許されていた数少ないアニメの中にドラえもんがある。 あの頃の放送曜日は確か金曜日の19時台。エホバの証人の集会もないから、それはそれは毎週楽しみにしていた。 そんな国民的アニメのまさに代表格であるドラえもんの最終回。 皆さんご存じであろうか。実はオフィシャルなものから、都市伝説的なエピソードまで、いくつかの説があるのですよ。 誰もが一つくらいのエピソードは語れるのではないだろうか。 わたしが唯一知っていたエピソードは、「さようならドラえもん」の

          ドラえもんの最終回

          暑中雑記

          8月も中旬に差し掛かろうとしてる。 夏のピークも過ぎただろうか。うだるような暑さからは逸脱したようにも思える。 2023年の後半はどんなものになるだろうか。 思えば今年の前半は怒涛の日々だった。それでもとても充実していたように思う。 noteの投稿はかなりさぼり気味になっているので、この辺で雑記かもしれないけど、今後やっていきたいことなんかを書いておこうと思う。 まずは仕事ですかね。10月以降はかなり忙しくなりそう。幸い自分の今の現場は人員的にも収支的にも安定してい

          暑中雑記

          父の日

          この週末の日曜日は父の日だ。 わたしは、実の父に父の日をお祝いしたことがない。もちろん母の日も。 それどころか自分の誕生日も祝われたこともなければ、家族の誰かの誕生日を祝ったこともない。 私が生まれた家は、クリスマスも、七夕もひな祭りも、端午の節句も、七五三も、子供であればだれもが喜ぶであろう季節ごとのイベントお祝い事を経験することなく育った。 エホバの証人の家に生まれたからである。 私の父は、私が子供のころは未信者であった。むしろ反対者だった。母とは宗教上の不一致

          父の日

          黒い雨

          5月末にG7広島サミットが開催された。 わたしはニュースで何となく耳にするくらいでサミットなんて特段気にも留めていなかったのだが。 広島で開催された意味とか、各国首脳に自らの被爆体験を話された小倉桂子さんのインタビューを聞いて、とても考えさせられた。 そこで思わされたのは、現存する被爆体験者の方々は、あと20年もすればほぼ消滅してしまうということだ。 実際の体験をご本人たちの口から聞けるチャンスなんて、もうほんの数年しか残されていないということなのだ。 そう考えたら

          黒い雨

          とある宗教の親に育てられた自らの半生⑥

          更新がほぼ止まってしまっていた。  これはわかる人にはわかって下さるとは思うが、2023年、年が明けてわたしを取り巻く環境は大きく変わった。 2月の末日、エホバの証人問題支援弁護団が会見を開き、世の中のトップニュースとして宗教2世の問題が大きく取り上げられることになったのだ。 しかも、この何でもないわたしが、当事者として発信させてもらえる機会を与えられた。 連日のようにこの問題が取り上げられ、一般の人々にも社会問題として注目してもらえるようになった。 それから約1か月半

          とある宗教の親に育てられた自らの半生⑥