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その20 「プラン型」?「デザイン型」?(1918文字)
1 はじめに
教師が主導権を握る「プラン型」授業の時代は、終わったと思っています。
「主体的・対話的で深い学び」を考えると、「デザイン型」授業が求められる時代になったと考えることができます。
そもそも「プラン型」「デザイン型」とは何を意味するのでしょうか。
2 「プラン」と「デザイン」について
学校現場では「授業プランを考える」や「学びをデザインする」という表現が、少なからず使われることがあります。
そんな言葉に『型』という言葉をつけて『プラン型』と『デザイン型』としました。
ともに授業スタイルを指すものですが、相反するもののように、私自身は感じています。
3 「プラン型」授業とは
教師が、授業に向けて、教材研究をしたり、発問を考えたり、子どもの反応を予想したりして、作り上げた授業案を、その計画したとおりになるように、つまり「プラン」通りになるように行う授業のことです。
教師の考えた範疇の内にある、子どもの意見だけを拾い上げたうえで、その意見の大事なところだけをつないで、教師の目指していたゴール(まとめ)に辿り着く授業と表現することもできます。
ひと昔前までは、このプラン通りに授業を行うことが、秀逸な授業の一つの要素として、とても大切にされていました。
この授業の良さは、計画という道標があるので、実行しやすいことです。
学習指導要領や教科書によって、一年間に必ず履修すべき「ノルマ」が、一条校には存在します。
この「ノルマ」クリアを考えた時に、計画通りの「いい授業」に見合う、子どもの意見のみを拾い上げることが、とても効率的だと考えられています。
一方、この授業の弊害は、わからない子どもや教師と違う考え方をする子は、浮かばれない、学べない、学校嫌いになる、勉強嫌いになること等が挙げられます。
教師とて専門性があるとは言え、一人の人間です。
いくら教材研究を重ねても、目の前に居る最大40人の子ども達の『脳』は、専門性を乗り越えていくものなのです。
4 「デザイン型」授業とは
「プラン型」と相容れない教育観として、「デザイン型」の授業について、次のように考え、実践してきました。
例えば、算数の授業の始まりに、教師が
小数の筆算の計算問題(かけ算)
を提示したとします。
この問題から、ある子どもは、小数の筆算の計算(かけ算)の仕方を考えることを課題として捉えます。
また、ある子は、覚えきっていない九九に向き合うことを課題と捉えます。
はたまた、ある子は、小数点の付く数の読み方を課題と捉えます。
このような個々の捉え方、つまり課題意識が違うのは、いわゆる、学力差がある故に当然に起こりうることです。
学年が上がるに連れて、同じ学級のなかでも、ふた学年ほどの学力差があると言っても言い過ぎではありません。
(※ここでいう学力とは、ペーパーテストで測ることのできる一つの指標を指すに過ぎません。)
先生が提示した問題から、未習である
小数のかけ算を筆算で解く方法
を学ぶことだけが、絶対的な学びではありません。
目の前にいる子ども達一人一人に見合う学びこそが、大事なのです。
そのことを前提としたうえで、学力に違いのある子ども達が、協働して学び合える環境を「デザイン」します。
この授業で、子ども達に必要な価値観は、他者理解であったり、「わからない」という声に必ず寄り添うことであったりします。
要は、問題を解くことだけが学びではないのです。
仮に自分で問題を解くことができたとしても、その解き方を学力の異なる隣の席の友達に伝えることは、決して簡単なことではありません。
「解けたけど、伝えられない」というステップアップした「わからなさ」に気づかせることも、この「デザイン型」授業の大事な学びであり、教師の役割です。
「わからなさ」を認め合うことで、よはくのある人間関係が構築され、子ども達はお互いに学びを深めていくことができるようになります。
その「わからなさ」を決して、恥に思わせない学びをデザインするのも、「デザイン型」授業を行う教師の役割です。
以上のようなことを積み重ね、授業の終末には、一人一人異なる学びに出会えるのが「デザイン型」の学びなのです。
5 おわりに
これからの時代、どんなものが職業になるのかわかりません。
AIに乗っ取られにくいと考えていた飲食関係の仕事でさえも、日々状況は変化しています。
だからこそ、教師の話を受け身で聞いて、忖度力を身につける『プラン型』授業ではなく、隣りの友達の考えと協働して学び合い、自分の未知に出会う『デザイン型』の学びを推奨したいと考える今日この頃です。