その19 『漢字の学習』もっと柔軟に?(1552文字)
1 はじめに
小学校では、約1000個の漢字を学びます。
今回は、漢字の学びについて考えます。
2 漢字の指導
はねていない。
はらっていない。
果たしてどこまで漢字の学習で、必要であり、大切にするべきなのでしょうか。
今この現代でも、自分の名前を書くことや、メモをとること等は、生きていくうえで必要だと感じています。
一方、本を読んだり、タイピングして漢字変換したりする時に「とめ・はね・はらい」を詳細に意識した漢字を覚えていることは、必要になりません。
これから益々テクノロジーが進む時代において、手書きで伝える、記録することは、必要性が薄れていく可能性が大いにあります。
書くことができなくて困ることより、読むことができなくて困ることのほうが多くなるのではないかと思います。
適切なインプットが得られないことが大きな問題ではないでしょうか。
適切にインプットできたものの、アウトプットに困難を伴う場合は、スマートフォンさえ持っていることで、多くの可能性を得るをことが可能です。
これに対して、インプットが困難な時の手立ては、スマートフォンによるアウトプットの手軽さや正確さには敵わず、まだ多くはない印象を受けます。
小学校で習う漢字は、書けた方がいいのかもしれません。
特に三、四年生で習う漢字は、実際の生活で、必要なんて言われることもあります。
読むことができて、タイピングの漢字変換をできることでいいようにも思えます。
しかしながら、これは一人一人それぞれの生きる道によって、その必要性は変わってくるものだと理解もしたいものです。
今確実に言えるのは「とめ・はね・はらい」を意識した書くことは『過去』ほど、さほど重要でないということです。
3 『厳密さ』を求められる時
ずばり、入試です。
入試問題において、筆記が求められます。
それに備えて小学校では、厳密な指導をしていることも一つの事実です。
かと言って、勘違いしてはならないのが、「とめ・はね・はらい」にこだわり過ぎることです。
ニュースを聞いて、同音の漢字の意味を想像する時に、細かな「とめ・はね・はらい」に思いを巡らせることは、まずないでしょう。
何より大事なのは「字体」という「骨格」の軸がどうであるのかを大切にしたうえで、一人一人がアウトプットする「字形」と向き合うことなのです。
と考えると、入試においても、漢字の書きを求める問題以外に「字体」を満たさないものや、印刷文字による「誤りでない字体」を選択する問題もあって然るべきだと思います。
4 漢字を書きとる学びの必要性
しかしながら、確実に必要だと思うことがあります。
辺やつくり、部首となり得る漢字は、丁寧に学ぶに越したことはありません。
例えば『山』という字の字体を詳しく知ることです。
『山』を基にすることで『山』という「辺」で構成される漢字を覚えたり、理解したりするハードルが下がります。
『草』という漢字を構成する『日』や『十』の字体や部首である『くさかんむり』のことを詳しく正しく知ることも同様です。
このように考えていくと、小学校の1年生や2年生で習う約250個の漢字を特に大切にすることは、3年生以降の漢字習得の活性化になるものと思われます。
この考えを軸にして、3年生、4年生では、得意不得意等を先生や保護者が見とることで、漢字検定まっしぐらなのか、読むことを重視するべきなのか、電車の駅名等から興味あることへの習得を促すのか等を、特に考えていく段階になるのかなと感じます。
5 おわりに
決して「とめ・はね・はらい」のみにこだわるのではなく、骨組みとなる『字体』を大切にしたうえで、その時代や個々の子どもの見取りを大切にする教育者になりたいと思う今日この頃です。