子育て回想録ーⅢ/次男の憂鬱
次男が生まれてひと月もたたない頃、私は次男の眼差しが気になってしょうがなかった。真っ赤なボールを次男の目の前でゆっくり左右に動かしてみる。
長男の時は赤いボールに合わせて目で追ってくる。
ところが次男は追わないワケではないのだか、追い方に違和感があった。
1ヶ月検診の時、先生に伝えると「まだひと月やからなあ」と言われた。
それから数ヶ月が経ち、つかまり立ちをするようになったある日のこと。
次男がテーブルにつかまって立っている。
テーブルの向かい側にいる私の方を見てニコニコ笑ってる。
いや。私を見てないのか?
次男の視線は私の後ろを見ている。
私はゆっくり右に寄ってみた。次にゆっくり左にも寄ってみた。
次男は私に合わせて右に左に向いてくる。明らかに私を見ているのだ。
ところが、視線は合わない。夫に言うと、「そんな風には見えんで」と言われ、母に言うと、「そうか?そんなことないで。気のせいやで」と誰も取り合ってくれない。私はちょっと不安になった。
そして保健師さんに相談してみた。すると、「いつも一緒にいるお母さんが気になるって言う事が大事ですからね」と言ってくれて、私は少しホッとした。
保健師さんが大学病院を紹介してくれたので行った。
2歳になるやならずの息子にどうやって視力検査するのかと思ったら、“ランドルト環(C)”の大きなのを息子に持たせて、ライトで光ってる“C”を指して「コレはどっち向いてるかなあ?」と言った。息子はそれを見て同じ向きになるように“ランドルト環”を動かした。
私は感心した。右左がまだわからないこんな小さな子供に、上手いこと検査するんやなあと。
検査室に入れたのは初日だけだった。
その後数ヶ月毎に通ったけど、それ以来私を検査室に入れてくれる事はなかった。結局、次男は『外斜視』だった。
「動きがある斜視なのでいつも一緒にいないとわからないかも」と言われた。
そして「コレから経過観察していって、悪くなるようやったら手術することになります。」とも言われた。
ほら!やっぱり気のせいちゃうかったやん!と、夫と母には報告した。
手術する事はなかった。
でも小学校の学年が上がっていくと、友だちから言われると言っていた。
ま、そうやろね。特に本人が気にしている事もなく、友だちも皆知る事になるがそれがどうということもなく、現在に至る。
それから数年後。次男が幼稚園に入園した。
元気いっぱいの次男は、元気が有り余っていた。
入園してすぐの頃は先生からの次男についてのお話は、お片付けもそこそこで遊びまくってると言う事だった。
夏になってプールが始まると、みんな時間になってプールから上がっているのに、先生が促しても、1人浮輪に乗ってプカプカ浮いてて上がってこないらしい。
私は「すみません」と異常な汗をかいた。
そんな次男が、夏休みが終わり二学期が始まったとたん、真逆になったと言われた。お片付けも先生が「もういいよ。がんばったね。遊んできていいよ」と言ってもひたすらお片付けに精を出していたと聞いた。
二学期になって、毎日園のバスから降りて来る時、今にも泣きそうな顔つきで降りて来るようになった。それと同時に自分の髪の毛を鷲掴みにして、引っ張って抜いているのを目撃してしまった。
次男の髪の毛がたくさん座布団に落ちてるのを見た時、次男に異変が起きていると思った。
その頃、三男が通っていた幼児教室の先生に次男の事を相談させてもらった。
すると先生は「幼稚園に適合し過ぎるほどに適合してしまったね」と言われた。
三男は三男で色々あって三男をよく膝に座らせていた。ところがすぐ膝に座って来る次男を私は「もう幼稚園やねんから」と言って膝から降ろしていた。それがいけなかったのだ。
幼児教室の先生は「次男クンの喜ぶ事を3ヶ月続けてみて」と言ってくれたので、膝に座ってきてもそのまま座らせて、抱っこしてあげた。
それから3ヶ月。先生の言われた通り、次男は元の次男に戻った。
でも幼稚園で何をしないといけないのかは理解していたようで、お片付けをしなかったり、先生の言う事を聞かないと言う事はもうなかった。
よかった。本当によかった〜
それからというもの、相変わらず私の膝に座りに来るが、友達が遊びに誘いにきたら、無惨に母は捨てられるのだった。
それでいいのだ。
また一つ子供に教えられた。