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人生は幸せの優劣を競うゲームじゃない #59


「幸せ」というものを考えた時、
その概念というのか、その言葉が
すこし違った意味で使われているパターンも
多い気がします。

幸せって、果たして何なのか?
これについて考えてみたいと思います。



相手を負かすための「幸せ」


時々、幸せがただ純粋に「幸せ」という意味を
表していない時もあると感じます。


「幸せになることが最大の復讐」
という言葉もありますが、
それはある意味、幸せが復讐の"道具"として
使われているような気がします。
(もちろん、こういった意味でなく
「復讐を忘れて幸せでいることが
結果的にいわゆる"復讐"となる」というような
逆説的なニュアンスで言われている部分も
あったり、様々な解釈があると思います。)


例えば、
「幸せになることで相手を見返す」
という事を考えた時、
その場合の幸せの中身は

成功とか、社会的に見て真っ当だとか、
または結婚して家庭を持つことや
子供がいることだったり、
素晴らしいスタイルや美貌を手に入れる、
異性・同性にモテる、たくさんお金を稼ぐ、
地位や名誉、名声を得ることだったとします。


もちろんそれ自体を幸せと
心底感じている場合は良いのですが、
その状態によって、
「相手にそう映るように頑張る」
「相手の思う幸せを体現して勝ちたい」
「ギャフンと言わせたい、悔しがる姿を見たい」
だとかになると、
それはまた本当の幸せの意味とは
少し違ってくるように思います。

そもそも、当たり前のことではありますが、
何がその人にとっての幸せか?
というのは人それぞれ違うので、
「こんな形の幸せが偉い」
「こんな幸せの形が立派」
などというものはありません。


自分の内側に矢印が向いた「幸せ」


「幸せ」を意識した時、
こういった感覚が潜んでいないか
注意して見てみることも自分にとっての
本当の幸せを見つける事に
役立つのではないかと思います。

𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃

☑︎本当の本当に自分にとって幸せなのか?

☑︎一般的に「幸せ」と言われている状態に
 
ならないと負けだと思っていないか?

☑︎「人に良く見られるから」
 という理由になってないか?

☑︎その幸せの中身は他人にとっても幸せだと
 映らなきゃ意味がないと思ってないか?

☑︎幸せの解釈の共通認識の母体が
 
大きければ大きい事ほど偉い、
 
または立派だと思ってないか?

𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃


時に幸せは優劣を競うゲームに
使われることもあると感じますが、
人が本当に幸せだと感じるのは、
他のヒト・モノ・コトと比べたり、
人からどう見えるかを考えたりした
外側や外的なものに矢印が向いた幸せではなく、

自分の心の中で感じる
自分の内側に矢印が向いている状態が
本当の幸せなのではないかと思います。


自分だけのザルを使って「幸せ」を抽出する


例えば、
たっぷりの水があります。

その水の中身は、人生のあらゆる出来事や
自分で選択するもの、
または自分では選択できないものetc...

自分の世界にある「すべて」です。

その水をザルに注ぎ、不要なものを取り除いて
残ったものが自分にとっての"幸せ"だとする。

これは使うザルによって網目が異なり、
残るものも違ってきます。


「他人の目や世間体のザル」を使えば、
他人の目や世間体から見た"幸せ"が
抽出されてしまい、それが自分にとっての
幸せだと勘違いしてしまいます。

他人や世間体のザルを使って
濾したものを採用するのではなく、
自分の心に従った、
自分を大切にして愛した視点のザルを使い、
そしてそれによって抽出されたものを採用する。

こうして、
「本当に自分にとって大切なものは?」
という視点のザルによって抽出して、
そこで残ったものが
本当の"自分にとっての幸せ"になります。


「幸せとはなにか?」
わからなくなったら、

今自分が採用している、
使っている"ザル"は何なのか?
もう一度見直してみて、
知らぬ間に他人の目のザルを
使っていることに気がつけば、
また自分だけが持つザルに
取り替えればいいだけです。


そうして自分だけのザルを使って抽出した
他の誰でもない、自分だけの幸せを
大切にしていく人生を歩めることこそが、
幸せそのものなのではないかと思います。


あまり他の人の目を気にしすぎず、気楽に、
小さな事でも自分にとって心地よいことを
少しずつ選択していくことから始めてみましょう。


お読みいただきありがとうございました。





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