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SNSをスナック感覚で取り込まない #68
今は情報社会でSNSなどでさまざまな情報を
膨大に取り入れることができます。
しかし、その情報は多ければ多いほど
どこまでも注ぎ込まれるようなところがあり、
情報の質はどうかと言うと「?」であったり、
自分の欲しいと思っているものとは
異なる事はどうしてもあります。
こうなってくると、
"使う側"の意識が大切になってきます。
情報は溺れそうなほど溢れている。
そんな中で「自分が本当に欲しい情報」を
精査していくことさえできれば
生活の中で最大の味方の一つとなって
力を貸してくれるものでもあります。
SNSはある種お菓子に似ているな、と感じます。
お菓子や美味しいものはやはり中毒性があり、
脳に反射的に「おいしい!」の電気が走るような
直感的な味をしていたりします。
そして食べれば食べるほど欲しくなる依存性。
砂糖などもそのような原理があると聞きます。
このような感じで、
刺激的だったり、目を引くようなついつい
見てしまう情報は、なかなかやめられずに
いつの間にか引き込まれて時間を
溶かしてしまうこともあります。
ついつい手が伸びて、
そしてそれによって眠る時間が削られたり
時間を無駄にしてしまったなぁと
後悔することもある。
もちろんそういうものを
何も考えずに見る時間というのも
楽しいものです。
意味があったり生産性のある物や事が
全てではありません。
心置きなく楽しむのがいいと思います。
しかし、その沼にどんどん入り込んでいくと
この「楽しい」という感覚すら
どんどん薄れていきます。
ただただ惰性でアプリを開き、
特に見たいと言うわけでもなく
ただなんとなく目にしてしまう。
そしてただ時間が経っている。
こうなっていくと本来楽しく
見れるはずのものでもなんだか
空虚に感じてしまったりします。
「これは気になるから調べないと」
「あともうちょっと」
「これだけ観たら」
などと尾を引いてしまいがちですが、
ここはもうサクッと止める。
パッと手を離して次の行動を移せば
案外やめられるものです。
惰性でSNSを見ているとき、
「これは後で後悔するやつだ」と
直感的に感じたらそこで止めるのが吉です。
ついついスナックのように手を伸ばしてしまい、
なかなかやめられない止まらない状態に
なるようなところがどうしてもあります。
情報は見るものを惹きつけるように
作られているので、
「見てしまうのがいけない」
「自分の意思が弱い」
と、自分を責めるのではなく
「そういうものだ」という前提で
関わっていくのがよさそうです。
私自身、調べ物が好きだったり、
色んな情報を読んだり見たり聞いたりと
興味を持ってしまうところもあるのですが、
「あ、これはちょっと依存的になってるな??」
とふと我に返ることがあったので
自分の意識の書き留めをしてこうと思いました。
お菓子やジャンクフードも大好きですし、
SNSが悪いものであるとも思っておりません。
これらを好きでいるための
度合いのチューニングは
自分自身がしていかないと
いけないなと感じました。
あなたが今日も有意義な時間を過ごせますよう。
お読みいただきありがとうございました。