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あがり症と付き合った日々
あがり症との戦い
私は極度のあがり症(社交不安障害)で、
中学3年生の時から33年もの間、
人前で話すことから逃げてきました。
会社員ですので、
朝礼やミーティング、また会議など
話す機会は山ほどありましたが、
そのほとんどから逃げ続けてきました。
時には会議中に言葉が出なくなり、
会議が中断したこともありました。
その間、メンタルクリニックに通い、
うつ病の薬を処方されたことも
ありましたが、あがり症を克服する
ことは出来ませんでした。
33年間本当に辛かったし、
逃げ続けてる自分にも腹が立って
悔しかった。
時にはあがり症のきっかけになった
同級生の事を恨んだりもしました。
でも、2年前あることをきっかけに
私は変わりました。
当時、
私は大阪の営業所にいたのですが、
そこで大きな社内トラブルが
立て続けに起こったのです。
その時、本部の方からは
「また大阪か」
「大阪は人が育たないなぁ」
等いろいろなことを言われました。
その時、自分の中で何かスイッチが
入ったのが分かりました。
覚悟が決まったというか、
とにかく
この状況を変えないといけない、
見返したい、
そんな想いがフツフツと
湧いてきたのです。
そこから、今までずっと避けてきた
朝礼やミーティングにもチャレンジ
することを決めました。
もちろん、33年避けていたことに
チャレンジするのは簡単なことでは
ありませんでした。
何度も何度もくじけそうになりました。
でも、その度に
「もう逃げない!」
「俺ならできる!」
「絶対に変わる!」
と自分を奮い立たせて
乗り越えてきました。
そして、この頃から
私の人生が大きく動きはじめました…
あがり症になったあの日
私があがり症になったのは
中学3年生の時でした。
それまでは林間学校で司会をしたり、
教室でもふざけてばかりいる
目立ちたがり屋の少年でした。
そんな私が突然
あがり症になったのです。
中学3年生の時、
私の前の席にMさんという
女の子がいました。
Mさんはとても頭がよく、
クラスでも学年でも常に成績が
上位の子でした。
ある日、国語の授業中に
右側の一番前の席の子から順番に
教科書を読むことがありました。
私は右から2列目の前から5番目の
席に座っていました。
ひとり…またひとり…
と順番に教科書を読み進めていくと、
私の前のMさんの順番になりました。
私は当時はお調子者でしたので、
当てられたくないという気持ちより、
むしろ早く読みたいという気持ちで
自分の順番を待っていました。
すると、前から
あぁ…
うぅ…
と声が聞こえてきたのです。
私が顔を見上げると、
そこには固まっていたMさんの姿が。
その後ろ姿からはどこか
震えているようにも見えました。
その後、ゆっくりと教科書を
読みはじめたMさんの声は震え、
一瞬で教室の空気が変わるのを
感じました。
教室に何か張り詰めた空気というか、
何とも言い表せない時間が流れました。
そして、待ちに待った私の出番
・・・のはずでしたが、
いざ教科書を読みはじめると、
うまく言葉が出ないのです。
なんだこれ?
と感じながらも何とかその場は
やり過ごすことが出来ました。
そして、次の国語の授業。
また、右側の一番前の席の子から
教科書を読みはじめました。
ひとり…
また、
ひとり…
と自分の順番が近づくにつれ、
心臓が大きな音を立て、
息づかいがあらくなり、
今まで感じたことがない
感覚に陥りました。
そして、Mさんの順番がきました。
Mさんが前回と同じように
声を震わせながら
教科書を読みはじめると
教室の中は、また何とも言えない
緊張感に包まれました。
そして、自分の番がきました。
私が教科書を読みはじめると
心臓の音がさらに大きくなり、
Mさんと同じように声が震え
手足も震え
そして、
頭の中が真っ白になったのです…
これが
私があがり症になった瞬間でした。
あがり症を克服した日
極度のあがり症だった私が
どうやって朝礼を克服するか、
これが大きな課題でした。
いろいろ考えていると、
ふと疑問に思ったことがあります。
「そもそも朝礼はみんな聞いているのか?」
「朝礼で長い話を聞きたいか?」
私の答えは"NO"でした。
どうせ誰も聞いていない朝礼なら、
短い方が喜ばれるのではないか?
1分ぐらいなら何とか
自分でも出来るのではないか?
それから1分朝礼のチャレンジが
はじまりました。
朝礼で話す内容はあらかじめ
小さいメモ帳に書き、
手のひらに隠し持って、
万が一頭が真っ白になった際は
いつでも見れるようにしました。
メモ帳に数行の文章でしたが、
毎朝6時に起きて何度も何度も
練習をしました。
練習の時に録音をして、
「よし!出来てる」と
自分を鼓舞し、
通勤の際にはモチベーションが
上がる音楽を聴きながら出社しました。
帰宅したら、
録音した朝礼を聞き直したり、
スピーチの動画を観たり、
ネットで緊張しない方法を調べたり、
とにかく出来ること、試せることは
全てやりました。
逃げ出したくなることもあったけど、
「あれだけ練習したから大丈夫」
と自分に言い聞かせながら
何とか続けることが出来ました。
そして、少し慣れてきた頃、
「もう少しゆっくり話してみよう」
「もう少し長く話してみよう」
「もっとわかりやすい言葉を使おう」
と少しずつ出来ることを
増やしていきました。
もちろん、毎回緊張はしましたが、
何とか毎朝
朝礼を出来るようになったのです。
33年間苦しみ、逃げ続けてきたことを
克服出来た時、言葉に出来ない感情が
込み上げてきました。
今では毎日朝礼が終わった瞬間、
心の中でガッツポーズをしています。
短所が長所に変わった瞬間
朝礼をはじめて約1年が経った頃、
転勤の話がありました。
最終日、多くのスタッフが
私のところに挨拶に来てくれました。
「○○さんの朝礼が聞けなくなるのが
残念です」
「○○の話、転勤先でも話してあげて
ください」
何と朝礼の話題が一番多かったのです。
毎日毎日練習して、
短くて分かりやすい言葉を選んで
必死に伝えていたのが、
みんなの心に届いていたのです。
これを聞いた時、
涙が出るほど嬉しかった。
言葉というのは、うまく話すから
伝わるのではなく、必死に話している
その姿が、相手の心に響くのだと
気づかされました。
緊張したっていい。
不器用だっていい。
大事なのは"こころ"です。
私は今、あの頃の自分に伝えたい。
「33年後、あなたは自分史上最高の
人生を送っているよ!」と。