「絶望」から、想像すらできない「聖域」へ 〜私のアート体験記〜
プロローグ
2024年、仲秋の妙高高原。
静かなロッジに集まった14名の参加者たち。
その場所はジブリの魔法がかかったみたいに、外界と遮られたような森の中。その上、ロッジそのものが貸切で、他に誰もいないこともあって、虫の音と雨音しかしない。
「アート合宿」そこに私は、「絵を描く」という特別な体験と、直接自分自身と深く向き合うために参加しました。
アートといえば、学生時代は印象派のモネやシャガールに憧れを抱き続けたものの、ずっと描く場面を持たずに大人になってしまった私は、環境さえ整えば描きたいという思いをずっと胸にしまっていました。
そう思い続け、実に30年以上、絵を書いたことなんてなかったのです。
そんな私を迎えてくれた会場のロッジには、24時間いつでも絵を描ける広いホールと少し熱めの温泉、そしておばあちゃんの美味しい田舎料理という、なんとも優しくて温かい場が待っていました。
私が、アート合宿に参加したきっかけは、信頼する友人から勧められたアーティストの大野幸子さんの個展で2つのインスピレーションを得たことでした。
1つめは今年、長年の会社員生活を辞めて、本当にやるべきことを毎日考えつづけ、自分の道を進むために起業した私が、この先、人生をどう進めていくのか?
自分の周りの関わる人たちや家族。
そして会社やお客様をどんな世界に導くのか?
自分には、将来のビジョンを描く力があるのかという不安と、3日間絵と向き合えば何か生まれるに違いない、という期待です。
そして2つ目の理由は、アートの考え方をビジネスに活かすこと。
私は新規事業に特化したコンサルティング会社を経営しているのですが発想の主流は「デザイン思考」。
「デザイン思考」は建築の世界の考え方であり、社会や顧客の視点で困りごとを捉え、深い課題を発見しロジカルに解決に導きます。
この考えに最新のAIを使えばわずか1秒足らずで「答えのようなもの」をアウトプットすることも簡単にできてしまいます。
いつか皆が何も考えずに、同じような正解に辿り着いてしまう。
そんな違和感を感じデザインと真逆とも言えるアートこそ、イノベーションに必要なのではないか?と感じて、最近はアート思考のアプローチを研究してきました。
今回は自らそれを体験することで理解が深まるのを期待していたのです。
一日目 - 自分の心に素直になる
ロッジに到着した私は、緊張感とともに創作への期待が膨らみました。
運営しているアーティストの3名が作る空間や、参加者との距離感は絶妙で、オープンな場と、悩んでいるときだけそっと寄り添い、アドバイスをくれる温かい存在でいてくれます。
最初に与えられたキャンバスは小さく丸いもので、 筆の使い方すらわからなかった私に、「表現は感じたまま、心のままに描くものだ」と教えてくれました。
丸い形から地球をイメージし描き出したものの途中から、なぜか海になり海岸になっていきました。
何が描きたいか、意味もわからなかったけど、ただ自分の表現をすればいいのだと言い聞かせながら描いていきました。
こうして無心で描き終わると、他の参加者たちと印象を語り合う時間が設けられました。
「洋介さんはチャレンジし続けてる人なんですね、いろんな苦労や経験が絵に現れている。」
出会ったばかり、僕のことをまるで知らない人からの第一声です。
そんなことなんて全く考えながら描いてないけど、まるで言い当てられたようでした。
驚くことに、自分で言葉を足さなくても、見る人には何かが伝わる。
過去を振り返ると、プロのオートバイレースや、新規事業に、起業と自分なりにストイックな世界にチャレンジしてきたのですが、それを知っているかのように思えたのです。
まるで自分と人生を共にしてきた人から、歴史を振り返ってくれたような、そんな言葉に、驚きを隠せませんでした。
周りを見ると、どうも他の参加者も同じように感じていたようです。
それぞれが感じたことを純粋に分かち合うことで、新たな気づきが生まれ、思いがけない共鳴が起きたのです。
その後、私たちは大きな紙の上に絵を描き、順番に他の人が描いた箇所に上書きするという体験をしました。
「人の絵に上書きするなんてとんでもない」というタブー感。
初めてのこの体験に衝撃を受けて、でも少しずつ心の壁が壊れていくのを感じました。
途中から、私はなぜかいたるところに「目」のようなもの描いていました。
この「目」が、後にいきづまった時のヒントになるとは、この時は想像もつきませんでした。
最後は、さらに他のグループの絵3枚を繋ぎ合わせていく。
バラバラと思っていたものが、まるで最初から1枚の絵だったような感覚。
偶然と必然が繋がっていく。
このとき私たちは、もう孤独な存在ではなく、アートという共通言語でつながりあったのです。
絶望との対話 - 自分の闇を描く
1日目の夜、私は「絶望」という心の闇を題材にした絵を描き始めました。
実は過去の辛い経験が心に深く残っていてトラウマになっていることがあったのですが、今回それを絵に吐き出すことで、当時の自分と別れを告げること。
それが、ここに来たもう一つの目的でした。
しかし、闇を表現しようと試みても技術が伴わずに思ったように描けない…
私はアーティストの中村峻介さんに助けを求めました。
彼は独特な優しい声で
「雑巾で拭いてみてはどうか?」
と素人の私に、まるでルールなんてないかの如くのアドバイス。
私が真っ黒にしたキャンバスに雑巾を使って周りを拭き取ることで逆に漆黒の闇を表現する方法を提案してくれました。
「そうか、別に筆すら使わなくていいのか。」
そこからは雑巾も使うし、時には手のひらでなぞったり。指や爪で削ったり。筆ではなく棒の方をつかったり。
塗っては拭き取り、また塗りつぶし、キャンバスを斬るように描いたりを繰り返す中で、やがて頭に描いた悪夢のような「絶望」の風景が現れ始めました。
ある瞬間、これまで味わったことのないような感覚に陥りました。
自分が当時見たの頭のイメージを、自分が描いた絵で忠実に表現できていると直感が言っていたのです。
その時、私はアーティストの世界に一歩足を踏み入れたと感じました。
描き終わって、私の「絶望」を見た女性の参加者が、「エネルギーを感じる」と言ってくれた時、正直にいうと戸惑いました。
私が体験し描いたつもりなのは、「エネルギーのカケラもない」抜け殻のような自分の「空虚で底知れない闇に落ちそうになる恐怖」のつもりだったからです。
でも、この言葉を抱きしめるうちに、何かが心に響いたのです。
よく考えると、絶望を感じたのは1年以上前。
確かに今の私はエネルギーに満ちている。
すでに自分は闇から解き放たれているのではないか?
そう理解した時、気づかせてくれた彼女に心から感謝したのと共に、絵の持つものすごい力に圧倒された感覚を味わったのです。
絵には、今の自分が自然に表れるし、嘘なんてつけない。
これには、ただひたすらに感動しました。
二日目 - 共創の新たな姿を発見
2日目の朝、私たちはさらに深い共創のプロセスに挑みました。
インスピレーションに従って数分で描いた絵を、絵の具が乾かぬうちに隣の人の作品と合わせるのです。
当然、お互いの色が移ってしまうのですが、そこから生まれる偶然の美しさに感動されます。
それは「汚れ」なんかではなく、まさにアートの「セレンディピティ」
言葉に表せない芸術ができあがっていくのです。
会場から驚いて感嘆の声が上がる中、さらに追い打ちをかけるように、
「隣の人に絵を渡してください。受け取ったらその上に好きに描くのです。」というアナウンスが。
前日、大きな紙に書いた時とは違って、ちゃんとしたキャンバスに書いてある他人の絵に、上塗りするのです。普通ならこんなことができるでしょうか?
でも、私たちはすでに、アートを通じてお互いのことが知り合えている感じがしていました。
勇気を振り絞って、5人で互いを尊重しながら回して描いていく。
そうして自分の手元に戻ってきた時にはその美しさ・力強さに感動しました。
この過程で、私は自分の殻を破り、仲間たちの感性と自分の感性が調和し進む瞬間を味わいました。
もう一枚の「絶望」
その夜、私は次の「絶望」の絵に着手しました。
今度は絶望を感じていた頃に、実際に窓から見た忘れられない風景を描くことで、もう一歩自分の内面に向き合う覚悟を決めたのです。
一枚目と違って現実の風景を描き始めると、うまく進まない。
そんな時、周りの参加者が励まし合いながら、時には苦しみながら創作に打ち込む姿が目に入りました。
中には、手だけでなく腕まで、いや身体全体を使って描いている方もいたのです。まるで命を使って描いているような姿に、凄い迫力を感じました。
「内面を描けばいい。カッコよくとか綺麗に描こうとするのは忘れよう」
と思えたのです。
風景ということで、どこか綺麗に描こうとしてしまっていたのかも知れません。
彼らの姿からインスピレーションを得て描き進みますが、何か足りない気がする。
なんというか、完成感がないのです。
自分が見た景色をどう表現するか。
そこでは仲間との対話がヒントとなりました。
「目を描くのが洋介らしいんじゃない?」
仲間が1日目の共同作品で私が「目」ばかりいたるところに描いていたことを思い出して語ってくれました。
そうだ、自分が見た景色なのだから、自分の目を描こう、内側から。
語ってくれた仲間に感謝しつつ、
「この時、この未来のために、昨日は目を描いていたのかも知れない。」
とガラになく不思議な親和性を認めている自分がいました。
そうして、自分の目の写真を撮り、反転させて自分の瞼(まぶた)そっくりに描くことでで、私自身の中から見た景色を生み出すことができたのです。
自分の瞼を描くことで、まるで自分がキャンバスにいるかのように感じて背筋がぞくっとしました。
「見たもの」「感じたこと」をキャンバスで自由に融合して表現すること。
今回は実際に見た景色と、内面で感じた風景が融合し、よりリアルに恐ろしい世界が形になったのです。
これで「絶望Ⅱ」は完成したと感じました。
最後の日 - 「絶望」から想像を超えた「聖域」へ
最後の日、私は前日までと違う作品を描くと決めていました。
「絶望」の闇を2枚描いた後、今度は美しい未来のビジョンを描きたいと思ったのです。
この合宿で得たインスピレーションで「respect」とだけ決まったタイトル。
大切な人、そして家族の姿。
しかし、人を描こうとすると、どうしても単なる「絵の下手な自分」が現れてしまう。
愛する人や家族の姿を描きたいのに、描けない自分にアーティストの幸子さんから
「考えちゃダメ、インスピレーションで筆だけ動かすの。」
「そうやって描いた絵が、次の絵を描くきっかけになるから。」
と、彼女は自分の制作過程を見せてくれました。
そこには、何回も全く違う絵を描くように、1枚のキャンバスに上塗りを重ね、描き直していく彼女の作品がありました。
何枚も上書きしていくうちに、ついに素晴らしい美しい作品ができあがっていきました。
きっと、彼女も狙った作品というわけではなく、「生まれた」ように感じていたことでしょう。
彼女のアート制作の姿を見た私は、その言葉を信じて描き始めました。
心で感じるままに、色だけを選び、手を動かしてみました。
単に筆を持って、左右に動かすだけ。
「respect」という言葉と大切な家族を考えながら。
一旦キャンバスが色で埋まると、筆が止まりました。
無理に描き進めずに、離れた場所から眺めます。
何も考えずに、単に眺める。
描きたくなったら、また描き始める。
描きたい時しか描かない。
他の仲間が時折、私のところに来てくれて話しかけてくれます。
何気ない話しから、徐々にインスピレーションが湧き、それを何度か繰り返しているうちに筆が止まらなくなる。
最後はほとんど「手」が筆代わりになっていき、
そうして私の「respect」が形になりました。
シェアする時間は仲間たちの愛に満ちた言葉が私を包み込んでくれました。
私の心も優しくなり、何か込み上げてくるものを感じました。
それは、私が描いたものに対しての感情だけでなく、私自身が本当に心を開いた瞬間だったのかも知れません。
どの作品も、とても自分一人で創れたとは思えない。
夜中にお互いの絵を見て声を掛け合い、筆が止まったら助けあう仲間たち。
皆のおかげでここまで描けたんだ。と感謝の気持ちが溢れて止めることなんてできませんでした。
みんなの言葉に、涙もろく無いはずの私の目に、なぜか涙がこぼれていたのです。どちらかというと、いつもはこういうの苦手だけど素直にならざるを得ない。
そして、空間が皆の優しさで満たされた感じを味わいました。
そんなのも人生で初めてです。
「respect」を見た運営の麻理子さんから、
「まるでサンクチュアリだね」
そんな素敵な言葉を言われたとき、
ちょっと恥ずかしいけど、なにかしっくりくるような不思議な気がして、ついに未来のビジョンを表せたと思った瞬間でした。
エピローグ-心に宿るキャンバス
合宿が終わり3日間の気持ちを共有し終わった頃、私は新たな自分を発見しました。
私は「自分の創造性を信じる」「そして人は誰しもアーティストである」という思いを胸に刻んだのです。
これは最初の2つの目的「自分の在り方」に強い軸となり、ビジネスでさえ「アート」と思えるような心の変化を起こしました。
心に刻まれたこのキャンバス。
こんな変化が起きるなんて、来る前は想像もしていなかった。
かけがえのない仲間たちと描き続けた時間が、私の内面に鮮やかな色彩を与えてくれたのです。
思えば、キャンバスに筆を走らせるたびに、私の心は浄化され、まるで新しい命を吹き込まれたような気持ちでした。
この経験が私の中に眠っていた創造性の火を灯したのです。
自分が感じたことを素直に表現し続け、人生の中でアートを取り入れていくこと、自分が感じたことを絵だけでなく、ビジネスでも表現することで、もっと多くの人とのつながり、共鳴し、共創の喜びを味わいたい。
”人生においてこの経験を通じて、他の人にも影響を与えるできることなら、とても素敵なこと”
不思議な森からの帰りの新幹線で素直にそう思えて、この3日間の夢が醒めないことを祈りました。
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