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深夜一時、憂鬱。
私は普段は元気なのだが、たまに憂鬱に纏わり付かれる人間だ。
そういう時は、「ああ、またか」と思い、書き物をする。
そうしたら、大抵憂鬱はどこかへ消え去っている。
これは、そのとき書いたものだ。
深夜一時。
ポッサムだけが静かに動き回る風の冷たい夜。
昨日は午後から頭痛がひどくて、帰宅してすぐ薬を飲んで毛布にくるまり痛みに耐えていたらいつの間にか眠りに落ちていた。
目が覚めたらぼんやりとした憂鬱を残して頭痛と吐き気は消え去っていた。
気分というのは本当に不思議なもので、物事の捉え方でしかないのに些細な日常の一コマ一つ一つでコロコロと変わり当の本人を困らせたり喜ばせたりする。
一人では生きていけない人間という生物。
また私の自立心が何かと戦っている。
未だ聞き取れずもどかしい英語という言語。
本当に価値があることがしたいと思う。
死んでしまうにはあまりにも馬鹿らしいほどのどうでもよさ。
高野悦子や小林多喜二、三島由紀夫の死に様を思い出したりする。
他者を求める私の弱さが憎い。
他者に素直になれない私の弱さが嫌い。
周りの人達はこんなにも優しいのに。
嗚呼私は何もしていない。本当に何もしていない。
見なければならない景色が、会って話さなければならない人がたくさんいる気がする。
ずっとずっと何かを探している。
それは人生の軸とかやりたいこととか、そんな傲慢に基づいた陳腐なものじゃない。
生命の美醜とかそういったものだ。
笑えてくるほど青いじゃねぇかよ、なぁ、
自分に纏わり付くこの憂鬱がどこから来たのか探ろうと昨日や今日のフィルムを回し「どないですか」と問いかけてみるが答えは得られない
憂鬱はひとえに冷めた情熱に由来する、という言葉があるが、本当にその通りだと思う。
憂鬱がもたらす美しさがあることも知っているが、情熱がもたらすものも大きい。
…
とまぁこんな風に元気になったので、これからも精進したいと思います。