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「めあて」の持たせ方 ーねらいとの違いを意識してー

ウィリアム・アーサー・ワードの言葉から

 19世紀のイギリスの教育学者であるウィリアム・アーサー・ワードの有名な言葉として次のようなものがあります。

The mediocre teacher tells.(凡庸な教師はただしゃべる。)
The good teacher explains.(よい教師は説明する。)
The superior teacher demonstrates.(すぐれた教師は自らやってみせる。)
The great teacher inspires.(そして,偉大な教師は心に火をつける。)
 ※訳し方によっては、表現が異なる場合があります。

 「凡庸な教師」とは、平凡な教師と捉えています。「ただしゃべる」というのは、子どもの気持ちや特性を無視して同じように一方的に話して終わり、ということを指すのではないでしょうか。つまり、教師の思い、「この時間は〇〇を教える」という「ねらい」だけしか頭になく、それを子ども達に押し付けている教師だと思います。
さて、教師をしている身として、どうせなら「偉大な教師」を目指したいものです。「心に火をつける」とは、やる気を引き出すことであり、鼓舞することになります。これは、まさにEducation(教育)の語源であるEduco(潜在能力を引き出す)のことです。「ねらい」を持ちつつも、そのねらいを押し付けることなく、子どもの「やってみたい!」「考えたい!」という思い、つまり「めあて」を引き出すことが上手い教師になりたいものです。

時を戻そう

 今回、「めあて」の持たせ方というテーマで話をする機会をいただきました。セミナーの中では、複数の実践を通して「めあて」の持たせ方について話をさせていただきましたが、最初から「めあて」を意識した授業づくりができていたわけではありません。
 
 初任者時代に時を戻します。
 私の初任者時代は、次の日の授業準備に追われていて、でも、準備も何を準備していいのかわからずとりあえず何とか1日1日をやり過ごそうという思いでいっぱいでした。当然、授業も愉しいものではなく、指導書を見ながら教科書をなぞるような授業ばかりだったように感じます。本当に、あの頃の子ども達には申し訳ない気持ちでいっぱいです。そう考えると、てらすの若手の先生方はすごいなぁと、いつも感心していますし尊敬しています!
 私の授業づくりの転換になったのは、筑波大学附属小学校算数部だった細水先生との出会いでした。最初は筑波大学附属小学校の素晴らしさを知らず、何となく細水先生の講演に参加しました。観が変わりました。今までの授業は何だったんだ、私がねらいを達成して満足するだけの授業だけじゃないかと恥ずかしくなりました。そこから、教育書を読むようになりました。何年もかけて少しずつ子どもの思いを大切にした授業づくりができるようになってきました。

子どもの心に火をつける

 セミナーの話に戻します。
 子どもの心に火をつける方法は、指導技術を高める、普段の学級経営を充実させるなど、たくさんあると思います。
 私は、子どもがそもそも授業に向き合えているのか、ハテナを持ち、そのハテナを解決したいという思いを持っているのかと考えることを大切にしています。その思いを持つように「しかけ」を考えないと、いくら指導技術を磨いても「やらされている授業」「対話させられている授業」「深い学びが生まれない授業」になると考えるからです。このような授業は、国が求めている「主体的・対話的で深い学び」とは正反対の姿です。そうならないためにも、教師は「ねらい」を持ちつつ、子どもに自然な形で「めあて」を持たせ、その「めあて」をもとに脳に汗をかき、目を輝かせながら課題解決に取り組むことができる授業づくりを考えていかなければいけません。

おわりに

 授業てらすには、経験年数関係なく素敵な考えや、魅力ある実践を持っている先生方がたくさんいらっしゃいます。そのような先生方の話は私を通して子ども達に還っていきます。私の拙い話ではありましたが、少しでも先生方の目の前にいる子ども達に還っていただけたら嬉しいなと思います。参加していただいた先生方、ありがとうございました。
 
                       むらまこ_村山誠@山形

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