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全員参加の算数授業~対話を通して「問い」を生む~
今回は、3回連続講座の最終回だった。
そこで学び、気づいたことを残していく。
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前学び
私はよく前学びを行う。
いわゆる予習だ。自分なりの意見をもってその講座を受けると、自然と疑問が溢れてくるというものだ。
自分の考えとの差異に他者の魅力を感じるからだ。
納得いくとかいかないとか、あっているとかあっていないかとかではない。
そこにある”人の考え(意見)”に触れることを大切にしたいのだ。
発信者の中に流れるものは何なのか文脈を読み取る。
そんな学び方をここ数年は続けている。
じっくりと考えていけるといいなと思う。
対話の定義を考える。
対話とは
お互いの立場や意見の違いを理解し、そのずれをすりあわせることを目的に行うもの(会話の一部)
同じ考えを確認し合う会話レベルからもう一歩ふみこんで新しいものを作り出していくイメージだ。
「対話して練り上げる」というのが適切だろうか。
その練り上げるに意味がある。
私の考える対話には種類がある。
①他者との対話
→相手の意見を受け取ったうえで、自分の意見を伝え、すりあわせていく。一方通行ではない。
②教材との対話
→教材は一方的に私たちに向かってきている。隙間がある(不完全)。そこをつく子どもたち。はじめは、わかりやしものから、だんだんと何の加工もしていないものでも対話し始めるかも。
③自己内対話
→架空の自分Bと対話している。はじめはぶつぶつ言っているのかもしれない。
問い方の工夫
いつ問うか。
私の興味はそこにある。
問いたくなるきらりと光る瞬間は、転がっていて、
できたら教師の予定の流れではなく、子どもの文脈に寄り添った形で推移していってほしい。
学級経営の基本は”前のめり”
一度何を意識しているかを考えてみた。
それは、「前のめりの子どもたち」であった。
前のめりの1人1人にするためには、どうしたらよいか。
と考え毎日学級経営している。
本セミナーのからの学び
かずやさんの実践をじっくりと聞く。
とても深い部分が多かった。
本気度は違う。
学びが深まり、対話を通してアグレッシブに動くセミナーはこれほどまでに価値があるのか。
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キーワードになった話を聞いていくと、みなさんのペンが走る走る。
顔が下がっても食い気味に学ぼうとされている姿!
とっても価値あるなぁと思う瞬間でした。
豊かに語り、豊かに動く子どもたちがいる授業は全員参加につながる
2週間に1回、プロトコルをとられているという。
学びが深まる瞬間だろう。
自分の言葉が本当に適切だったか。
子どもたちがどのように発言しているのか。
その言葉に対してどう返しているのか。
文字起こしをすれば、自然と見えてくる。
確かな積み上げがあるからこそ見えてくる世界があるのだろう。
そこからみいだされた中には、
教師から発する言葉(指示・発問・価値づけ・説明など)
子どもが反応する言葉(発言・つぶやき・問いなど)
の分類も学ばせてもらった。
しかし、分類することが良いのではない。
意識して使っていますか。
なんとなく言葉を発していないですか。
と投げかけてもらった気がする。
認める 褒める 価値づける
「認める→ほめる→価値づける」は算数科に限らない。
困難さを持っている子どもたちへも変わらないかかわりがある。
Q:割合の公式が見えない 黒板写しているだけ…そういう子たちに対しても?高学年で通用する言葉がけ…うわべだけの言葉…でなくなるためには?
A:①周りの子も価値づける。
→君もやっているのか。すごいね。
②情意に語り掛ける:君がノートを1番に開いた。先生は嬉しい。
真心のこもった「すごい」
その子を動かすための「すごいね」とは違う。
③参加はしようとしているか否かを見取る?とりあえずノートをとっているって素晴らしいこと
ノートとってんじゃん。
本当は分かりたいとおもってるんじゃん?
どっから分かってて、どっからわかっらへんの?
★その子のための授業展開へとつなげることができる。
やりようはいくらでもあるんだな。
その言葉を知らないだけだったな。
子どもからのアクションへのリアクション力ってありそう。
学力差を埋める。いやいや、子どもたちのもっている力を活かす
「できない」・「おそい」
は学校教育では顕著にみられてくる。
特に、3学期のこの時期は、「またあの子か」って失望することさえある。
しかし、授業で何度も出てくるからこそ根気強く、それでいて長い目を見てじっくりと価値観を伝えていくことが必要だ。
例として以下のようなことがあげられる
問題を書く → 文節ごとに書かせる
→ 読みながら書かせる
練習問題も一緒にやる(1問ずつ)
どこに価値を置くかだ。
子どもの声を聴いていくと、できるできないに全く同じはないことに気づく。
学力差がある時かたまってしまう。差を良いように使えるためにはと思っても。
領域によって特性に応じて展開していくと逆転することがありえる。
算数全般という視点ではなく、単元や本時などのピックアップの視点で子どもたちを見取っていく必要性がある。
最後に
「ストイックに授業作りにかかわっておられる」ともりゆうさんが言われた。
その源は、どこにあるのか。
それを探す1つのセミナーであった。
それは、”確かな実践”にあった。
積み重ねて、振り返っていく。それに他ならない。
2週間に1回子どもの声を聴き、子どもと先生のやりとりを授業記録として作成する。
そこで、子どもに対して教師がどのように関わっているのか。見捨てている言葉があるのではないか。
はじめから一貫を通して言われている「全員参加」である授業。
不可能を可能にする一手と着実に進化する姿が見られた。
いや大きな覚悟というものか。
9月20日:教育観と手立て(発問、指導技術、板書、教材)
11月22日:教育観に基づいた教材づくり(教科書アレンジ)
1月24日:全員参加を実現するために算数授業で学級をつくる
を聞く過程の中で存分に味わってきた。
余談(これからの展望)
学校の仕事は、技能の習得をそうだが、なぜその技能を選択したのか。思考の決定を偶然集まった学級の仲間と分かち合うことだ。
技能の習熟は宿題でもよい。
しかし、思考の考え方を対話したい。
何を価値づけていますか?
賞賛と価値づけの違いは何ですか?ってヒントがいただけました。
こんなことを常に考え続けたい。
(さるっち_白石圭祐@兵庫)