歴史に詳しくなるよりも大切なこと。
私の母方の祖父は、インパール作戦でビルマに行って生きて帰ってきた人。
命は助かったが、片耳の聴力は爆撃で失った。
聴力の件で障がい者手帳の申請ができるはずなのにしていない理由を聞いたら、
「ビルマで死んでいった仲間の顔が今でも忘れられない。本当は生きて帰るなんて恥だったことなんだ。だから片耳が聞こえないぐらいで役所の世話にはならん」
と言って泣いていた。あの頃の祖父は90歳になるかならないかぐらいだったと思う。
これは今から25年ぐらい前の話で私が20代のころのエピソード。
それから、祖父が亡くなった後にNHKの「エール」でインパール作戦のことをやっていて、ああじいちゃんの言っていたことはこれだ!と思って、ドラマを見た後に母に電話をした。
母は父親から戦争の話は一度も聞いたことがないと言っていて、孫にそんな話をしていたのかと泣いていた。
そして夫の父方の祖父も、東京大空襲で当時の奥さんと子供二人を亡くした。
除籍には深川あたりで亡くなったと記録がある。
その後祖父は再婚し私の舅の親になるのだが、祖父は空襲で亡くした子供の名前を孫である夫につけた。
ちょっと前に、自衛官が「大東亜戦争」という言葉を用いてSNSに投稿したことが話題になっていたが、古物商として明治から昭和と幅広い時代の日本の雑貨全般を仕入れて商売をしている身としては、「大東亜戦争」と書かれた当時の雑誌や新聞記事をよく目にするし、この言葉を用いて出品もするので、ニュースになっていること自体がよくわからなかった。
理由は解説動画などを見て何となく理解できたが、「何となく」で十分だと思った。
私たちには、90歳を越えても生きていて申し訳ないと戦争で散った仲間を思う親族がいたということ。
空襲で家族を亡くした親族がいたということ。
教科書上の話ではなくて戦争は実際に起こったことであり、苦しんだ親族がいたのだということを、成人だが戦争や歴史に無関心の子供たちにきっかけがあるたびに話し伝えておくことのほうが大切だと感じたし、当時のことがわかる物はできるだけ捨てられずに誰かに大切にしてもらえるように、今の仕事を全うすることのほうが大事だと思ったから。
もうすぐ今年で79回目の8月15日がやってくる。
平和ボケしていられるのも、今のうちだけかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?