日向坂46「希望と絶望」感想
5年くらい前までアイドルがずっと苦手だった。
当時は彼女達がかわい子ぶっていたからだと思っていたけど、今考えたらその理由は
“外部の人間達が作り上げた理想像を演じる彼女達の在り方”に違和感を感じていたからなのだとはっきり言える。
私は日向坂46が好きだ。
理由を挙げたら彼女達への印象に対する変化が出そうなので敢えて「可愛いから」と言いたいところだがまあ書いていたら追々書いてしまいそうだなあ。
私はライブを見にいくのも大好きだし、バラエティ番組での彼女達の姿を応援するのも好きだ。
みほちゃんの卒セレライブではこれまでにないくらい号泣したし、最近はひなあいでのちょっとした感動シーンでも泣いてしまうくらいには日向坂に対して涙腺ゆるゆる人間になっている。
ただ今回の映画ではいつもの“脊髄で彼女達を愛でる”モードに入れなくて一言で言うならば
“嗚呼”
って感じだった。
今一度私自身に問う。
アイドルはがむしゃらじゃなきゃいけないのか?
ひたむきに頑張ってきつい時でも「彼女達ここまで頑張って大丈夫なの?本当にすごいねえ」って思わせるくらい頑張るのが日向坂でなければいけないの?
とびっきりの笑顔を振りまいて観客を喜ばせないといけないの?
そしてそれを一人の人間が判断して彼女達の今の精一杯を踏み躙るような行為をしていいと思っているのか。
指導者を軸に考えさせる統一された思考の人間を作り上げるような発言をしていいのか?
(この辺り憤りさえ感じたのでお目汚し失礼。)
メンバー自身が自分達のことを一番に認めることが大切じゃないのか?
彼女達は与えられた試練を生き抜く姿を見せてくれるものだと期待し続けることを当たり前にしていいのか?
私は久美さんの
「これを日向坂のストーリーとして見て欲しくない」
と言う言葉が全てだと思うし、
卒業するみほちゃんの
「私は日向坂のみんなに幸せになってもらいたいんです。私がこれからは一番のおひさまになりますから。」
と言う言葉が、彼女達のそしておひさまの本当の願いだと思う。
私は日向坂メンバーの自我を持った活動に魅力を感じている。
“理想像を演じるアイドル”ではなく“紛れもない彼女達”だと思っている。
「彼女達ここまで頑張って大丈夫なの?本当にすごいねえ」
と言う言葉を引き出すための商材だと少なくとも私は思っていない。思いたくない。
ドキュメンタリーとなるとどうしても
「アイドルとしての幕が開けて困難が幾つも待っているけれど、それを乗り越えた先に強くなった彼女達の姿がそこにはあった。彼女達の戦いはこれからも続いていく、、、。」
って言う結末になるのは正直仕方がないことだと思う。
ファン達に「やっぱり日向坂はすごいんだ」と思わせたいのは当たり前だと思うから映画自体の構成やナレーションは正直あれ以外の作り方もないと思う。
(うーん。特定の何かを批判して自分を正義に似た存在に仕立て上げたくなることがあり、今まさにそれで、言葉を慎重に選びたくなるなあ。)
だからこそ「あなた達はこういう姿でなければいけない。」
と指導されている現状に苦しくなってしまった。
そしてその現状を一部のメンバーは認識していることも感じた。
だからこそこの「ドキュメンタリーの構成」と「日向坂ブランドの貼り付け」行為になってしまう今回の作品に対して柔らかく
「これを私たちのストーリーと捉えて欲しくない」
と言ったのだとも受け取った。
突然ですが、私は毎日元気に日向坂応援アカウントでツイッターをしています。
ツイッターって面白くて、いろんな人の推しに対する愛が滝のように流れてくるんですよね。
「今日も齊藤京子ちゃんが幸せでありますように」
「ひなちゃんと一緒にご飯を食べにきたよ(生写真と共に)」
「本日の菜緒ちゃんも優勝しておりました。」
「みほちゃん幸せになってね。」
こんな言葉達を眺めていると私はなんとも言えない幸福感に浸れる。
大好きな人たちの幸せを願うことってそれ自体が幸せだし、そう願う人たちを綺麗だなぁって思う。
これも一種の理想の押し付けだけど、これこそ“双方にとって幸せなアイドルとオタクの関係性“ではないかと思う。
いろんなファンがいる中、強引に言わせてもらうと「メンバーの幸せはオタクの幸せ。ついでに幸せを願っている時点でオタクは幸せ。」なのである。
繰り返し言う。
少なくとも私は「彼女達ここまで頑張って大丈夫なの?本当にすごいねえ」と思わせてもらうために彼女達を応援しているわけじゃないのよ。
ただただ、彼女達の幸せを願いたいし元気に過ごしていてくれて、その断片をテレビの画面越しに味わわせてもらえたら、もう何も言うことはないんです。
どうかそれが伝わってほしいなと思う。
前者の考えをファンが持っている前提で活動させてしまうと“そういうファン”を作ることにもなるとも考えられるから。
みほちゃんが言った「幸せになってほしい」と言う言葉は、一人のファンである私の気持ちの代弁だし、彼女達の現状に対する願いと私は捉えた。
作品中で「メンバーの意見をまとめて投げかけられるようになった。一緒にライブを作り上げていけるようになった。」と話していた久美さん。
自分達の曲げられない意志を持っていたら絶対大丈夫だと思うし、これからも応援したいと思っています。
みんな、幸せになってね。