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人と人をつなぐ「橋渡し役」として、また来たいと思える体験をつくる。福島県浜通りエリアの“今”を伝える担当者

東日本大震災と原発事故の被害を大きく受けた、福島県の浜通りエリア。

あれから10年以上の時を経て、避難指示の解除により、帰郷される方や移住者の増加などその景色は日々移り変わっています。

今回、話を聞いたJTB福島支店の平井 啓介ひらい けいすけも、避難指示解除を受け、2022年度に福島浜通りエリアの担当に。この地域をより多くの方に知っていただくために、関係人口の創出と移住促進事業を進めてきました。

今回は平井が担当したツアーへの参加をきっかけに、実際に浜通りエリアへ移住した鈴木みなみさんにもご参加いただき、浜通りならではの課題や難しさ、そして地域と外の人をつなぐ役目を担うなかで感じる喜びとは何か、話を聞きました。


震災当時から東北に関わり続け、福島の浜通りへ

平井 啓介(ひらい けいすけ)
2010年入社後、法人営業を経て2016年より地域への誘客関連事業を担当。地域に軸足を置いた密着型の事業推進を行っている。趣味は「庭キャンプ」。

――平井さんは現在、JTB福島支店でどのようなお仕事をされているのでしょうか?

平井:2022年に福島浜通りエリアの担当に着任しまして、「移住体験ツアー」の開催や地域外から来訪した方々に向けたスキルアップ講座の運営など、各自治体と連携しながら、浜通りエリアをより多くの方に知っていただく活動をおこなっています。

「移住」と聞くとやや重く聞こえるかもしれませんが、この地域のことを好きになってもらって「また来たい」と思ってもらえることが目標です。関係人口創出の取り組みの一つに移住促進事業が位置すると考えてもらえると良いと思います。

――震災と原発事故の背景をもつ浜通りエリアですが、平井さん自身はもともと東北に強い思い入れがあったのでしょうか?

平井:そうですね。僕は震災当時、山形支店にいました。山形は比較的被害が少ない地域ではありましたが、日本各地がそうだったように震災直後は普段通りに仕事ができる状況ではありませんでした。仕事も全てストップして、Twitter(現:X)を眺めながら被災地の情報を得る日々で…。

そんなある日、「ボランティアバスを走らせてほしい」という投稿を目にしたんです。山形市から宮城県石巻市までならバスを走らせられる経路があるし、「被災地の力になりたい」と思っている人たちが参加してくれるのではないかと考えました。

それで、東北芸術工科大学と山形大学の学生・教職員の皆さんが有志で立ち上げた「福興会議ふくこうかいぎ」というコミュニティへ、自身のTwitterから直接DMを送ってみたんです。とんとん拍子で話が進み、山形市と石巻市を結ぶ日帰りボランティアバス「スマイルエンジン山形」を運行することになりました。震災発生の2カ月後のことです。

ボランティアバス「スマイルエンジン山形」 

ーーSNSの投稿から始まったとは驚きですね。

平井:僕自身の被災地の力になりたいという気持ちも相まって、結果的にボランティアバスを何本も走らせることになりました。僕も現地ではボランティアの一員として活動していましたから、痛烈に記憶に刻まれていますね。

その後、福島支店へ異動となり、避難指示が解除された浜通りエリアを担当することになったのですが、辞令が出たときは驚く気持ちもありました。ボランティアツアーをやってきた僕としては「やっぱりご縁なんだなあ」という気持ちが強かったですね。

ただ、観光色の強い事業よりも地域の生活に密着した仕事に関心があったので、とてもうれしかったことを覚えています。意義深いことをさせてもらっているなあと思っています。

関係人口創出への取り組みは、時間をかけて花を咲かせる

福島県の東側、太平洋に面する浜通り。写真右奥に見えるのは、福島第二原子力発電所

ーー浜通りエリアに「また来たい」と思ってもらうために、移住体験ツアーやスキルアップ講座では、どのようなこだわりを持って実施しているのでしょうか。

平井:どちらの活動も地域の人と交流できる機会と、自発的に町を知りたくなる仕組みをつくることを大切にしています。

例えばスキルアップ講座の「ライティングスクール」では、参加者の皆さんに地域の人たちに直接取材をしてもらい、それを原稿にまとめてもらいます。取材をするためには、取材対象者の情報を事前にインターネットなどで調べた上で、質問項目を洗い出す必要がありますよね。

対象者をリサーチしていると「この人が活動している地域はこんな場所なんだ」「この地域にはこんなご飯屋さんがあるんだ」など、自然と町の周辺情報が入ってきます。すると、皆さんおのずと関心を持ってくれて、僕が案内しなくとも自発的に足を運んでくれたりするんです。

ーー受け身ではなく、能動性を持って「この町を知りたい」と思ってもらえるような内容になっているのですね。現在、各地域で「関係人口創出」や「移住促進」が重視されていますが、浜通りエリアならではの難しさはどのようなところにありますか?

平井:浜通りエリアに住んでいた方々は、原発事故のあと避難を余儀なくされてきました。帰還困難区域を除くすべての地域の避難指示が解除されたのは2022年*。その間に別の場所に生活の基盤を移された方が多いですから、「浜通りに帰る」という決断はそんなに簡単にできることではないと思っています。

だからこそ移住促進が必要になるわけですが、言うまでもなく「移住」というのは、その人の人生に関わる大きな決断です。ツアーの参加者が必ずしも移住を決めてくれるとは限りませんし、成果を簡単に数値化できるものでもありません。

*2014年以降、避難指示の解除が進み、2020年3月に「帰還困難区域」を除く全ての地域の避難指示解除が実現しました。また、「帰還困難区域」の一部でも、20mSv/年を下回る区域では、駅周辺などで避難指示が先行解除されています。

ーー観光ツアーとはまた異なる難しさがあるのですね。

平井:そんななかでも、担当したツアーに参加してくれた人とこの地域で再会することがあります。先日「相馬野馬追そうまのまおい」という1000年以上の伝統を持つ南相馬のお祭り、いわば「馬の祭典」に出向いた際、観覧者席から「平井さんですか?」と声をかけられて、「実はあのツアーの後、浜通りに移住したんです!」と報告してくれた方がいました。すごくうれしかったですね。

実施直後に移住につながらなかったとしても、僕らのツアーをきっかけに、このエリアに関心を持ち関わり続けてくる人がいる。それは半年後なのか10年後なのかわかりませんが、自分がやったことが時間をかけて身を結んでいると実感できたとき、この仕事をしていてよかったなと心から思います

「また東北に来よう」10年以上の時を経た再会

鈴木みなみさん
山形県出身。学生時代に、平井が企画したボランティアバス「スマイルエンジン山形」に参加。2019年に娘と共に富岡町へ移住。「いわき・双葉の子育て応援コミュニティcotohana」を立ち上げ、子ども・子育て応援を通じた地域づくりに取り組む。現在小学生の娘と共に、富岡町での暮らしを楽しんでいる。

ーー今回は2019年に浜通りエリアに移住をされた鈴木みなみさんにもお越しいただきました。11年ぶりの再会だったそうですね。

鈴木みなみさん(以下、鈴木):感動の再会でしたよね!(笑)震災当時は学生生活を送っていたのですが、ずっと被災地のことが気になっていたんです。「自分にできることは何かないだろうか」と情報を探していたときにボランティアバス「スマイルエンジン山形」の存在を知り、参加することにしました。

あのとき「スマイルエンジン山形」がなければ、私は東北に通うことも浜通りに移住する決断もしていなかったんじゃないかな、と思います。

ーーそれだけ「スマイルエンジン山形」の経験は大きかったのですね。

鈴木:鮮明に記憶に残っています。被災地で泥かきをしていると、ついこの間までここで暮らしの営みがあったことを生々しく感じるんです。

現実とは思えない状況を前に「この先どうなっちゃうのだろう」という悲しみや不安など、いろんな感情が湧いてきました。それだけに「スマイルエンジン山形」では、一人で向き合うのではなくて、みんなでシェアしあう時間を設けてくれたことがすごくありがたかったですね。2泊3日の短期間だとは思えないくらい濃厚な時間でした。

あれから10年以上が経ちますが、「また仲間たちに会うために東北に来よう」という気持ちをずっと持ち続けていたからこそ、今ここにいるんだと思います。

平井:ボランティアに参加する人たちは、被災地の力になりたいという思いからどうしても頑張りすぎてしまうところがあるんです。「この状況をどうにかしたい」という気持ちは素晴らしいけれど、無理をしてしまうと持続可能ではなくなってしまいます

燃え尽き症候群を避けるためにも、東北芸術工科大学と山形大学の方々とも話し合い、泥かきの時間を少し短くして、その分感じたことをディスカッションし昇華する時間を設けていました。実際に鈴木さんのように東北に関わり続けてくれている人が現れてくれたのは、ありがたい限りですね。

鈴木:ボランティア中にとある地域の方から一枚の写真をいただきました。「僕の家は流されちゃったけど、その前まではこういう暮らしをしていたんだよ」と。その方がどういう気持ちで渡してくれたのかは定かではないのですが、今でも大切に保管しています。

その地域にどういう暮らしの営みがあったのか、一枚の写真や地域の人たちのお話から想像を膨らませること。それをこのツアーに参加して以来、ずっと大切にしてきました。

浜通りエリアの魅力は、自分の関わりによって地域が変わっていくこと

ーー数ある地域のなかで、鈴木さんはなぜ移住先として浜通りエリアを選んだのですか?

鈴木:浜通りエリアに初めて訪れたのは2013年でした。現在暮らしている富岡町の一部避難指示解除を間近で見守り、ここで出会った人たちの話を聞くなかで、一度住民がゼロになった地域だからこそ「これから自分たちで暮らしを立て直していくんだ」という熱量を強く感じたんです。

「どう幸せに暮らし、自分たちのまちをつくっていくか」そんな問いに真剣に向き合う姿にグッとくるものがあって。この地域の人たちとなら、私も自分自身を誇れるような人生の選択ができるかもしれないと思い、浜通りへの移住を決めました。

ーー実際に移住してみて、今感じていることがあれば教えてください。

鈴木:先ほど平井さんからもあったように、今はまだ地域コミュニティの再生の過程にあります。子どもや高齢者など、各家庭のライフスタイルに柔軟に対応できるだけの資源の回復には時間がかかっています。

そこで、子育てに関する情報誌の作成や「こども食堂」の運営など、この地域に住む子育て世帯の人たちが応援し合えるようなコミュニティづくりに取り組み始めました。

「足りないなら自分でつくろう」という精神ですね。私と子どもが欲しい居場所を自分で作っているような感覚です。この取り組みを行うことで、私も困った時に頼れる仲間がたくさんできましたし、このコミュニティでつながった人たちがスーパーでおしゃべりしている様子を見るとすごくうれしくなります。

「こども食堂」での食事風景

ーー「自分たちでつくっていくんだ」という気持ちの強さは、浜通りエリアならではかもしれませんね。

鈴木:そうですね。今はまださまざまな資源が欠けている状況ではあるけれど、だからこそ自分が関わることでこの地域の暮らしが劇的に変わっていく様を体感できます。東北に関わり続ける「支援者」から一人の「生活者」となって、地域の取り組みへの意識がより強くなりました。

人と人をつなぐ「橋渡し役」に徹することで、面白いツアーになる

ーー「移住体験ツアー」のゲストとして、鈴木さんにも参加いただいたようですね。

平井:外から訪れる方たちが聞きたいのって、まさに鈴木さんのような強い熱量を持った地域の人たちの話だと思うんです。ですから、僕らがお手伝いしている「移住体験ツアー」では、できる限り地域の人たちをゲストに呼んで、僕がファシリテーションをしながら根掘り葉掘りお話を聞かせてもらっています。

鈴木:平井さんのツアーのすごいところは、会話のほとんどがアドリブなんですよ!行程表などはあるにしても、かなりその場の雰囲気で進めていらっしゃいますよね?(笑)

平井:そうですね。参加者の皆さんが知りたいのって、マニュアル化されたような情報ではないと思うんです。特に浜通りは日々変わっていくじゃないですか。ここで活動されている方々も日々いろんなことを感じながら取り組んでいるはずで、そのとき得られる情報は「生もの」だと思っています。だから、あまり予定調和な話をしてももったいないし、聞いているほうも面白くないと思うんですよね。

鈴木:だからこそ、よりその地域のリアルを感じられる内容になっているんだろうなと。ボランティアもそうですが、ツアーって一般的には「非日常」になりがちだと思うんです。でも、平井さんのツアーは「日常」とうまく接続してくれる。ここで暮らしたら、どんな人たちとの出会いがあって、どんなことができそうか、想像力をかき立ててくれるんです。

平井:なんだか照れくさいですね(笑)。ただ、僕としてはそんなに大それたことをやっているつもりはなくて、あくまで自分は人と人をつなぐ「橋渡し役」でしかないと思っています。参加者のみんなが聞きたそうなことを代表して質問する。「黒子」に徹しているつもりです。

それでも、鈴木さんのように僕のことをよく覚えていてくれる人がいるというのは、ありがたい限りですね。

ーー平井さんは今後、浜通りエリアをどのような地域にしていきたいといいますか、どうなってほしいというような思いはありますか。

平井:難しい質問ですね…。というのも、「自分がどうしたいか」ではなく「みんながしたいこと」に近づけることが僕の役割だと思っているんです。だから、その答えは持っていない、というのが正直なところかもしれません。

目標を明確にしてしまうと、人をそこに当てはめてしまうと思うんです。例えば「移住者を何人獲得する!」という目標を強く持ちすぎてしまうと、参加者や地域の人たち一人ひとりの想いが見えなくなってしまう。それは僕が望んでいることではありません。

JTBではよく「現場力」という言葉を用いますが、決まりきった目標を持つのではなく、参加してくれた方の要望をその場その場ですくい上げて臨機応変に対応していく。その結果として、この地域を好きになってもらえることが一番の望みであり、僕の役割だと思っています。

写真: 大童鉄平
文:  佐藤伶
編集: 花沢亜衣