小屋探訪記 前書き~小さな小屋を求めて~
旅をアウトドアに求めてみる
どこかに行こうと考えたとき、いろいろワクワクするのは当然。家を出てから目的地までの移動時間の使い方、その道中で見るワッと驚く風景や刺激的な地元の食文化を考えただけで気持ちは高まる。2019年12月から世界に蔓延したCOVID-19の影響もあり、キャンプの一大ブームに火がついたことから、アウトドアなんて趣向も多くの人びとの気持ちを掴んだ。かくいう私も流行に乗ってキャンプを始めてみた一人である。到着してテントをたてて、簡単なアウトドア料理なんかつくって晩酌すると、どこかの日本の田舎が異世界のように感じなくもない。
やっぱり夜は快適に過ごしたい
「若人」と「老人」の間は意外と長い。テントの中にコットを配置して厚手の寝袋で寝ると快適ではあるものの、どうしてもやはり「ホテルのベッド」には劣る。ホテルでは家のベッドより高級な寝具であったりするので当然である。ホテル対家では、「付帯サービス」と「家の日常具合」の対立関係くらいでしか優位性を判断できない。そんなことを言うのは自分が40手前になってみて、旅の道中の体力を如何に減らさないかが、通常運転の日常にストレスなく戻れるポイントだと感じるようになったからだ。旅となればどこで寝るかが気になるお年頃になってきた。きっとこれからはその感覚が強くなるし、親孝行だと思って歳ゆく両親を連れゆくものなら、夜の快適性は絶対に必要だ。子供を連れて行き「獅子が子を崖から突き落とす」ようにちょっとしたサバイバル体験をさせようとする場合は、子供より親の自分の方が大変のようにも思える。
小屋に泊まってみる
日常的に運動を心がけてみよう程度の人間からしたら、キャンプとはいえ大自然を相手にするには身体が脆弱すぎる。仮に登山趣味の人がテントを張ってある程度自然を楽しむことは想像できても、エベレストの山頂めがけてビバークするのでは同じ登山の夜の過ごし方とはジャンルが違う。むしろ登山を楽しむ人こそ本当の意味で山を舐めていない。山で一晩過ごすのであれば、ほぼ間違いなく山小屋に泊まるだろう。仕事を全力投球しながら合間を縫ってキャンプ場に足を運ぶ立場からすれば、キャンプ場の小屋に泊まるのがちょうどいい。とくに夜が冷え込むシーズンは小屋のあるサイトへ行き、堂々と小屋でヌクヌク過ごす。最高だ。
小屋が欲しくなった
私が小屋巡りについて文章にまとめようと考えたのは初めて泊まった小屋があまりにも「私にとっての小屋」のイメージに近かったことが発端である。小屋こそもしかしたら自分の住みたい家だったのかもしれない。建築界の巨匠ル・コルビジェが晩年アトリエとして使っていた南仏の「カップ・マルタンにある休暇小屋」や中村好文のHanem Hutなどの小屋など、私達建築設計者は「小屋」にどこか最小建築としての憧れがあるのかもしれない。どちらの建築家も(失礼ながら)晩年の業で設計をしている。私のような若い人には冒険心と探求心をもってフィールドワークしないと、その業に代わるような思考は手入れることはできない。だからこそ小屋を巡ってみて、その記録を残そうと手記に記すことにした。
小屋は「モロ」かわいい
足を運んでみると小屋は場所に「すぅ~と」座っている。私のような建築設計を生業にしている人からするととても「モロかわいい」。とにかく脆弱である。基礎なんてコンクリートであれば最高で現場の石を使っているものだってある。さすがに冬に凍結するような地域にいけば断熱はしていることもあるが、軽井沢程度であればそれすらない。人が整備したサイトに小屋が建っているとはいえ、景色のために崖上なんかにあると、地震で転がり落ちてしまうのではないかと思えてしまう。なんたって木造で金属屋根程度あれば自重が「軽い」。押して倒れることはないとしても、大きな地震がきたら覚悟が必要だ。それくらいギリギリの性能で人と自然の間の重要なシェルターとして機能する。健気なその立ち振る舞いは愛しさすら覚える。そして泊まってみるとその力強さと逞しさを感じる。私はそのようなモロかわいい小屋によって暖をとることができ、温もりを得る。小屋に恋してしまいそうだ。
家ではない魅力
小屋で過ごした後は当然帰路がはじまる。次の利用者や管理人さんのためにキレイに片づける。後ろ髪惹かれるが、ずっと暮らすための場所ではない。小屋は家のように過ごせるが、家ではない。結局、人には家が必要だ。家には家の素敵さがある。だけど小屋に惹かれるのはなんでだろう。きっと大自然の風景だ。でも田舎暮らしなら窓から見る風景はきっと素敵だ。魅力は人それぞれ違う感覚として記憶に残るはずだ。私はそういった小屋の魅力を紐解いてみたい。
>>Next 焚き火の小屋POLO