進化する下水道
岡久 宏史
依頼論説
(公社)日本下水道協会 理事長
下水道とは何か?
汚いとか臭いとかのイメージが先行するインフラであるが、これほど重要なインフラは他にない。下水道の使命である衛生保持、浸水防除、水環境の保全という役割は、直截に言えば人を含む生物の生命と人の財産を守るインフラであり、人類が生存する上で不可欠なインフラである。そして、このインフラを整備し稼働させるには、きわめて広範囲な工学的・理学的知識(土木、建築、衛生、電機、機械、化学、微生物学等)を必要とするインフラでもある。また、SDGsの17の目標のうち少なくとも13の目標に何らかの形で寄与できるインフラでもある。
ところで、我が国における下水道の汚水対策整備はほぼ概成しつつあり、事業として終了感があるかもしれないが(昨今の異常な降雨に対する浸水対策は遅れているが)、下水道事業はこれからが本番である。今日、下水道事業は、下水道システムを管理・運営し、更新・改造する時代、つまり、マネジメントの時代に突入しているが、持続可能な社会の構築に貢献すべく、進化し続けなければならない。このような使命を念頭に、官と民と学が連携して下水道をマネジメントする、各界の専門家たちの腕の見せどころ、知恵の出しどころの時代を迎えている。
さて、下水道とは何か?を洞察する際には、「循環」という視点が重要である。人が生活する上で「水」は不可欠であり、その利用の後に排出される屎尿やその他の汚水は然るべき処理をして自然の水循環に戻してやらなければならない。健全な水循環の環の中でこの処理という構成要素が欠ければ人の生存は成り立たなくなる。下水道は水循環の要であることを十分認識し、忘れてはならない。
しかし注目すべきは、下水道は物理的「水」だけを循環させているわけではないことである。下水には、様々なモノが含まれている。例えば、有機物、リンや窒素、希少金属、さらには、コロナウイルスなどのウイルスや細菌類も含んでいるし、エネルギーも内包している。下水は「宝の山」であるといわれている所以である。
そして、この「宝の山」を社会に役立てるべく下水道は日々進化している。
例えば、下水道から最終的に排出される有機物の塊(「汚泥」という何とも印象の悪い言葉で呼ばれているが)からはエネルギーを生み出せ、脱炭素社会の実現にこの下水道が持つエネルギーが大いに役立つ。全国で排出される汚泥量は、年間約230万トン、エネルギーに換算すると約120億kwhに相当する。また、汚泥からメタンガスを取り出せば約10億kwhの発電が可能であり、さらには、燃料電池車約8万台/日の水素も生成できる。
また、下水が持つ熱エネルギーは約2000万GJ、約90万世帯の熱使用量に匹敵する。この下水熱は、既に冷暖房に活用されているし、寒冷地では融雪にも使われ、ワサビなどの作物の生産にも利用されている。現在、下水が持つこれらのエネルギーを利用して、下水処理場における使用エネルギーの自立化も図られつつある。
さらに、作物の栽培に必要不可欠な栄養素である「リン」である。リン鉱石の賦存量は、その74%がモロッコ(西サハラ)に存在し、その他中国やシリアなど限られた国に偏在しているため、国際的戦略物質とされ、近い将来リンの争奪戦が始まるといわれている。我が国には、様々な形態でリンが輸入(約55万トン)されているが、その約10%は下水に流れ込み、ほとんど利用されずに無駄に捨てられている。勿体無いことである。最近になって政府はやっと下水に含まれるリンの回収と利活用に本気になって取り組み始めた。
一方、意外かもしれないが、下水は多様な「情報」を含んでいる。例えば、ウイルスである。東北大学では下水中の「ノロウイルス」を測定し、その蔓延防止に役立てているし、最近は、「コロナ」である。また、薬剤耐性菌の情報を得て新たな薬品づくりに役立てようとの試みもなされている。「情報」という観点からの下水の活用が模索され始めている。
下水道は、「アンサングヒーロー(縁の下の力持ち)」である。この下水道が人類に貢献できる様々な可能性をどのように見出し、活用するかは、これからの人達、夢と使命感を持っている若い人たちに委ねられている。
このように、下水道は、初期の役割から変態しつつ進化を続けている。これほど遣り甲斐のあるインフラ事業は他にない。
(注)文中の汚泥が持っている潜在的なエネルギー量等の数値は国土交通省資料による。
第197回論説・オピニオン(2023年10月)