俺を見ろって話
自分って色んな側面がありますよね。
今回はこれがいいか悪いかではなく、他人からどう評価されるのかって話をします。
結論から言うと、見えているものしか評価できません。
このトピックについて誰と話してもそれ自体は揺らぎようがない事実として存在してしまっています。
ある意味、学生時代の友人と卒業したら会わなくなるのはそういったことが関係しているのでしょう。
「中学、高校での友達」というレッテルのもと、関係を築いているんだと思います。
まあシンプルに交流機会が減ることも要因にあるんでしょうがね。
では、これをもう少し一般的なシーンに置き換えてみましょう。
例えば職場恋愛。
これが上手くいかない可能性が高いのは、人には色んな側面があることから説明できるでしょう。
どちらか一方、はたまたお互いが相手を「職場にいるあの人」と認識している場合があると思います。
この感覚があった際、相手が理想とは違ったと感じるのは致し方ない話です。
なぜならみんなそれぞれ職場では職場用の「仮面」を着けているから。
所謂「素の自分」とは異なるわけです。
「仮面」を理想化して普段の相手にもそれを期待する。
これは非常に罪深いですよ。
相手のことを正当に評価せず、自分に都合のいい部分だけを期待しているわけですからね。
自分に見えている部分しか評価できていないわけです。
そのメッキが剥がれ始めると、おそらく以前に書いた「蛙化」に繋がるんですね。
この事実は物事をフラットに見ることの難しさを教えてくれていると思います。
自分もそう見てしまっている向きはあるので、少し気を遣って人との関係を築いていきたいですね。
さてこれを書こうと思った理由を書いて終わりにしましょう。
先日、尊敬している友人と約3ヶ月ぶりに会う機会がありました。
彼との会話の中で、「相手の理想を上手く演じてしまう」という話をしたんですよ。
するとまさにこの話が出てきて、言語化出来なかった感覚が徐々に言語を伴って構築されていったんです。
その作業がようやく終わって、アウトプットをしたくなったわけです。
そんなわけで、まとまりの無い落書きみたいになってしまいましたが、終わりにしましょう。
最後にまとめると、どの俺を好きになってもいいけど、「俺」を見ろってことです。