昨年度の振り返りと4月の小さめの目標【週刊Nocturne#12】
どうもこんばんは。咲夜いつです。
週刊Nocturne#12、今週のnghmさんからのお題は、#4月の小さめの目標です。
先週の真菰さんからのお題が #未来予想図 ということで、結構気合を入れて自分の大きな目標を描き散らかしたので、今回のお題は、良い熱冷ましになる気がします。nghmさん、ありがとうございます。気合を入れて書いた先週の記事はこちらです↓↓↓↓↓↓
■昨年度の振り返り
時が過ぎるのはあまりにも早いもので、新型コロナウイルスが日本で猛威を奮い始めてから、およそ1年が経ち、気がつけば4月に突入しました。今もなお、withコロナが続いていますが、去年の桜よりも、今年の桜の方が圧倒的に綺麗に見えるので、どうやら僕は去年よりも確実に幸せになっているようです。
去年の4月の時点で、僕は学部4年生だったので、華の(?)大学生というものを十分に堪能できていたからよかったですが、もし自分が、大学1年生もしくは浪人生の時にこのような災害に見舞われていたら、僕は一体どのような行動をとっていたんだろう?ということは、前々から気になっていました。実際にそうだったとしたら、戦慄ものです。
もし浪人生だったら
「予備校通えん。自宅からの通信教育なんて、俺に続くわけないやん。」
人がいるところでないと勉強できない僕は、確実に詰んでいました。本当にどうしてたんだろう。こればっかりはちょっと想像もできないですね。
もし大学1年生だったら
「寮入れない。友達できないぴえん。」
(僕は大学1・2年の間は寮に入っていました。)実家でアルバイトして、じいちゃんばあちゃんの畑仕事手伝って。リモート授業とテストのみの大学生活はしんどすぎますね。かなりストレスフルな暮らしになっていたと思いますが、流石に大学を辞めるという選択肢は取らないような気がします。
コロナ下で精神に落ち込んでいる若者がかなり増えているという話を聞きましたが、そりゃそうでしょ。と思います。
昨年度は、『不要不急』な活動の自粛ということで、部活にも研究室にも行くことができずに、思いがけず自分の時間がうまれ、自分の将来について考えることができました。本日は、昨年度の振り返りを行う予定だったのですが、改めて大学について考えてみたいと思ったので、内容を変更したいと思います。
#キマグレン
■大学の価値とは?
みなさんが考える『大学の価値』とはなんでしょうか。
僕が思う大学の価値とは
1. 自分と似た波長の友人に出会える
2. 「学びたい」を邪魔されない
3. 体系的に物事を学ぶ事ができる
大学の価値と書きましたが、これ全て、僕が思う大学の部活の価値ですw。残念ながら、学部では、上記の良さをあまり体験する事ができませんでした。
僕は大学時代にサッカー部に所属していたのですが、そこでの経験を通じて、体系的にサッカーを学ぶ。サッカーというもの輪郭を少しだけ捉えられたような気がしています。僕の通っていた大学に、サッカー学部ボランチ学科がもしあったならば、きちんと大学院に進めそうな気がしています。大学院でのより専門的な(サッカーの)研究と(試合)実験を通じて、僕の能力はさらなる可能性を見出していたことは間違いありません。
という冗談は置いといて、(あながち冗談でもありませんが)
本来の大学の価値とは、社会に出るための最低限必要な知識を学ぶ義務教育とは違い、自分が学びたいことを自由に学ぶ事ができる場所だと思います。
*最近読んだ本に、義務教育の義務とは、親が教育を受けさせる義務であり、子どもには自由に学びを選べる権利があると書かれていて、仰るとおりでございますと思いました。
僕は思うに、そもそも、「学びたい!」から学ぶのではなくて、「車を作りたい!」が先にあって車を作るのに必要な流体力学やデザインを学んだり、「試合で勝ちたい」があって、学問を学びたい!が先に来てしまうの今の教育は、どこか変な気がします。物理が好きなんよ!というより、ロボットが好きなんよ!の方が自然ですものね。でも、そんなこといってたら、自分の選びたい学問を選ぶ事ができなくなっちゃいますね。
昨日はそんなことを考えていたのですが、ちょうどいいタイミングでいい本に出会えました。(今日この本を読んでしまったので、昨日描いていたこの記事の内容も大幅修正しています。読まなきゃよかったww。)
今日は朝からこの本を読んでいたのですが、僕が『大学』というものに抱いていた違和感などをわかりやすく言語化してくれていて、読んでいてとても面白かったです。
僕が先に上げていた疑問である、「学びたい!」の前に「〇〇したい!」が来なきゃおかしいんじゃないか問題なのですが、オックスフォード大学のもともとの成り立ちとしては、「〇〇がしたい!」が先に来ていたそうです。でも大学院を作った時に、Ph.D.の授与は地域研究の基礎となる学問ベースでないといけないということになって、社会学は社会学、歴史学は歴史学といったように、基礎学問をベースにしながら研究をする仕組みができあがったそうです。
そして、部活楽しすぎた問題ですが、英米の大学は、「カレッジ=知的共同体」「ファカルティー=学部」「ユニバーシティ」の3つが存在し、うまくバランスを取り合っているらしいです。日本には「大学」というものしかなく、僕の場合はまさに「部活」が「カレッジ」的な役割を果たしてくれていて、みんなで学び合う貴重な経験ができました。それが学部と結びつかなかった事が何より残念でなりません。「ロボット作りたい!」のに「フランス革命」まなんでる状態でしたw。
お金貯めて、勉強して、もう一度大学に入り直して、今度こそ「カレッジ=知的共同体」と「ファカルティー=学部」を自由に往来ながら学問の嵐に吹かれたいなと思います✌️。教授のお二人、集英社の編集者さん、この本を書いてくれてありがとうございます。僕が大学に入り直した時に、日本の大学が以前よりも良くなっているとは到底思えませんが。
#日本の大学問題は根深い
#海外行けばええんよ 👨🎓
とりあえず、学位を取った僕の同期たち、(あ、先輩になるのか。。。)
おめでとう㊗️ですね!
なんか、大学の卒業写真が高校の卒業写真と本質的には何も変わらないように見えて、とてもとても虚しさを覚えましたが、卒業写真を撮れていない僕がそれを言ったところで、ただの負け犬の遠吠えでしかないww、ので、僕はきちんと『ユニバーシティ』を『卒業』します。口に出しちゃったし、頑張らなきゃ💦。(決して同期たちが幼稚に見えたとかいう話ではないよ。)
■DADA
今回のコロナウイルスによって、大学に限らず、多くのもの「価値」や「意味」が、改めて見直される事になりました。僕も今回、改めて大学の価値というものを考えてみましたが、そもそも「価値」や「意味」がないとダメなのか?というところに疑問を投げかけている人もいます。
僕の好きな養老孟司さんが「意識」と「感覚」について述べていて、紹介しようと思ったのですが、今回は別の人物を紹介したいと思います。
シュルレアリスム作家のジュウ・ショという方です。たまたまnoteでこの人の記事を見つけてから、気になった記事をちょくちょく読ませていただいております。
日常生活でもよく使われる『シュール』の正式名称でもあるシュルレアリスムですが、そのシュルレアリスムの源流となるのがダダイズムというものだそうです。ダダイズムは、「理性なんてぶっ壊せ」というもので、デュシャンの「泉」などが有名です。そこから、『理性を壊す』のと『無意識につくる』って一緒じゃね?ということで、シュルレアリスムが発展していったそうです。僕はにわかなオブにわかなので、気になった方はこの記事を読んでみて下さい。
4月病で元気のなさそうな暇なトロロさんには、この人が書いたムンクの記事がオススメです。きっと、「まだまだ私、行くとこまで行ってないな」と思わせてくれると思います。
実は、この作品のタイトルは『ムンクの叫び』ではなく、ムンクの『叫び』で、
さらに、叫んでいるのは『ムンク』ではなく、『山』だそうです😱。
#ムンクって打つとこれ😱出てくるの笑える。
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はい、これまで、お題とはかなりかけ離れたことをつらつらと書いてきてしまいましたが(#確信犯)、僕の4月の小さめの目標は、引っ越しをすることです。
ただ引越しをするだけなのに、なぜか企画書(引越しをする意義・引っ越して何をしたいのか)を書かされていて、絶賛やる気なくし中なのですが、頑張って引越し企画を通したいと思います。まさに理性や論理の強要をさせられています。引っ越しに意義も理想もへったくれもないよ。『楽しそうだから』でいいじゃん!!頭の硬い人には、これでも読ませよう。#ダダりたい#駄駄りたい
*RADWIMPSのDADAはきっと『駄々』じゃなくて『ダダ』だな。歌詞的に。
とは言いつつ、きちんと論理立てて説明することは大事ですよね。言語化し、論理立てて説明するところは、僕の苦手とするところなので、この機会に頑張って取り組みたいと思います。
最後の最後で、奇跡的に本文の内容とお題をつなげる事ができました✌️(?)
僕はこのまとめに満足してしまったので、今日はこんな感じで終わりにしたいと思います。
それでは皆さん、また来週お会いいたしましょう。(多分次回も、土曜日(〆切)までに書けないよん🤯)
ばいばーい🌸