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漂流教室 No.64 「『源氏物語』から喧嘩上等」
花山天皇は高等学校の古文の授業でよく登場されます。
有名なのは『大鏡』で紹介される逸話です。
一つは「肝試し」、もう一つは「退位」。
以前noteに挙げた記事がございます。
ご参考になさってください。
で、この花山天皇なんですが、政治改革に並々ならぬ関心を持ち、
精力的に取り組みました。
〇荘園整理令
〇貨幣の流通
〇物価統制
〇地方行政の改革
などなどです。
藤原氏に取られちゃっていた実権を天皇の手に取り戻そうとしたんですね。
その花山天皇の右腕が藤原義懐(よしちか)。
花山天皇の母懐子(かいし、または、ちかこ)の弟です。
彼らの父、藤原伊尹(これただ、または、これまさ。つまり花山天皇のおじいちゃん)は摂政も務めた大物なんですが、花山天皇即位の時にはもう亡くなっていました。
そこで、おじちゃんの義懐が活躍するわけです。
もう一人、実権を握ったのが花山天皇の乳母の子である藤原惟成(これしげ、または、これなり)。
乳母(めのと)って、字のごとくお乳をくれるお母さん代わりの人。
ほぼ育ての親です。
その人の子どもだから、もうほぼ兄弟ですね。
兄弟にして、一の家来。
それはそれは信頼がおける。
さて、即位したときは花山天皇が16歳、義懐が27歳、惟成が31歳。
皆さんお若い。
だから血気盛ん。
時の関白、藤原頼忠をはじめとする古臭い年寄りたちに対しては、
喧嘩上等!
けれども、若いのが集まって勢いでどでかい花火を打ち上げようとしても、
なかなかうまくいかないのが世の常です。
花山親政はすぐさまつぶれちゃう。
なんせ、花山天皇の即位期間そのものがわずか2年足らずですから。
(退位の顛末は・・・私の記事、読んでね)
やっぱり「藤原」には勝てん。
(義懐も惟成も「藤原」ではありますが)
時に権勢をふるった藤原兼家とその息子、道隆、道兼、道長に敵うはずもなかったのです。
ところで、「光る君へ」を見ましたが、道兼、えらい悪もんですなあ。
出だしであそこまでひどい人物として描かれると、今後はどうなっていくのかな?
花山天皇は兼家とその子、三兄弟に騙されて出家させられちゃいますが、
出家後のエピソードもこれまた豊富な方です。
次は出家後のエピソードをご紹介したいですね。
(『源氏物語』から外れっぱなし・・・)