3.11に思う。水をかけても消えない火
2011年3月11日14:26。
私は高校の教師です。この時6限目の授業をしていました。3階の教室。
立って動いていた私は気づきません。でも、生徒たちが異変に気づきました。
「あれ?揺れてない?」
「ホントだ。揺れてる」
なるほど、確かに揺れている。
「え?地震?大丈夫?」
不安がる生徒もいます。
揺れはすぐにおさまりました。でも、人間って揺れの感覚は続くんです。
「まだ揺れてるんじゃない?」
「まだ揺れてるよ!」
そう訴える生徒が何人かいます。
「大丈夫。外を見て」
落ち着いてくれ。それだけを考えました。
「ほら、あの木や電柱、見てごらん。揺れてないだろ?」
「うん、ホントだ。揺れてない」
「ここは3階だから、揺れが強く感じられたんだろう。校舎も古いからなあ」
大丈夫だよ。とにかくそれを伝えたかった。
授業後、ネットを見て、東北で大きな地震が起こったことを知りました。
うちに帰ってからはテレビに釘付けです。阪神淡路大震災を思い出すのですが、今度は津波の被害がかなりのものになりそう。おまけに原子力発電所も被害を受けた?
その後、時間が経つにつれ、日が経つにつれ、被害の実態がどんどん伝わってきました。東北各地はもちろん、東京周辺でもかなりの被害。千葉では石油コンビナートで火災、爆発。ディズニーリゾート周辺でも液状化現象が起こり、道路が使用不能に。首都圏では交通網がズタズタ、帰宅できない人、いわゆる帰宅難民が大勢。
地震による被害、津波による被害、余震の恐怖、避難所生活の苦しさ。被害を受けた方々はそれはそれはたいへんだったろうと思います。
十年が経ちました。復興はどれくらい進んでいるのでしょうか?
かなり?
まだまだ?
いろいろな考え方があるのは当然。でも、「もう100パーセント。大丈夫」という人はいないでしょう。やはり、阪神淡路・東日本大震災を我々は忘れてはならない。
そして、やはりこの問題。
十年経っても立ち入ることさえできないところがある。
そう、福島第一原子力発電所です。
過去、人類は何度も放射能汚染に悩まされてきました。
戦争被害、もちろん、広島と長崎。
水爆実験による被爆、第五福竜丸。
米ソを中心とする核保有国による度重なる核実験。
そして、原子力発電所の事故。
1979年、アメリカのスリーマイル島で原子力発電所の事故が起こりました。事故発生時、奇しくも原子力発電所の事故を扱った映画「チャイナ・シンドローム」が公開中でした。タイトルの「チャイナ・シンドローム」とは、原子炉の炉心融解(メルトダウン)が起こると、溶け出した核燃料が地球の裏側の中国にまで突き抜けてしまうという現象です。映画では炉心融解の直前で原子炉は停止しますが、現実のスリーマイル島では炉心融解が起こってしまいました。炉心冷却のため大量の水をかけ、付近の住民を強制退去させたのは福島と同様。
また1986年、旧ソ連のチェルノブイリでも、原子力発電所で炉心融解が起こり、冷却のために砂や液体窒素を使い、最終的には鉛とコンクリートで原子炉そのものを分厚く固めてしまったそうです。これがいわゆる「石棺」。
その他にも、炉心融解に至らなかった事故は日本だけでもいくつか起きています。
1995年、福井の高速増殖炉「文殊」で冷却に使われていたナトリウムが漏れ、空気中の水分と反応して燃えました。ナトリウムを通す配管の設計ミスが原因だったそうです。
1999年、東海村のJCOという会社でウラン化合物を扱っている最中に臨界事故が起きました。本来の手順を無視し、安全性の低い「裏マニュアル」を使っていたのが原因だそうです。この事故では直接作業を行っていた作業員、救助に携わった救急隊員、事故処理の任に当たった作業員、そして周辺住人にまで被害が及びました。放射性物質を扱うという危機感を持たない、杜撰な企業体質が起こした悲劇だと言えます。
本来原子力発電所は、さまざまな事故を想定して設計されています。特に原子炉は何重にも安全装置を設け、万に一つも炉心融解が起こらないようになっている。と、国も電力会社も言っている。
しかし、スリーマイルでも、チェルノブイリでも想定を超えた事故やミスのため炉心融解という最悪の結果を引き起こしてしまう。
文殊と、JCOは設計のミスとヒューマンエラーで事故が起こりました。
福島では、想定もしなかった津波のため、こちらも最悪の結果を招き、今なお解決のめどさえ立たずにいます。
想定外のこと、想像だにし得なかったことは起こるのです。
「安全神話」という言葉があります。しかし、こと核に関しては「神話」などとは絶対に言えない。これだけのミスや事故を起こしておきながら、なにが「安全神話」だ。
この期に及んで「原発は安全だ」と謳うのは、よほど歴史を知らない人か、科学について知らない人でしょう。(科学について知れば知るほど、科学は万能ではないということがわかるはず。無邪気な科学万能主義者は幼児並の知性しか持たぬ者だと言えます)
10年目の3.11を迎える今、我々にできることは脱原発を進めることです。
我々人類は、今までに何度も同じ愚を繰り返してきました。自分の愚かさを十分に自覚しなければならない。これ以上の愚を積み重ねることだけはしてはならない。
私は、水をかけても消えない火は使うべきではないと思う。