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漂流教室 vol.10 月のアレコレ

流教室 No.10

前回は、授業での霜のお話と月のお話をしました。
さて、月にまつわるアレコレを。

古典では「一月」、「二月」・・・とは、あんまり言わない。
「睦月」、「如月」「弥生」・・・ですね。
私、授業では生徒にこう言います。
「これ、学力というよりは常識や教養だよ。」
「師走」が「十二月」だとわからないのは、現代人だってちょっと厳しい。

さて、そして古典の世界の暦は太陰暦です。
『土佐日記』で、国司一行が京に戻ったのが二月十六日。
ということは、お月様は十六夜です。
十五夜の次の月だからかなり明るい。
一行は四年ぶりの我が家の荒廃ぶりに驚きましたが、
それもこれも十六夜の明るいお月様が出ていればこそ。
荒れた庭の隅々まで見えたんだろうなあ。

また、『大鏡』では、花山天皇が退位したのが六月二十二日の夜。
上弦の月で、半月です。さほど明るくはない。
でも、こっそりと退位しなければならない花山天皇にとっては明るく感じられた。
いっそすべてを闇の中に隠してくれる新月の夜ならよかったのに。

俳句の世界の月と言えばこれ!
菜の花や 月は東に 日は西に
(訳はしません。しちゃいけない、と思う)
与謝蕪村が神戸を訪れたときに詠んだ句です。

夕暮れ時、東に浮かぶのは白い満月。
大きなオレンジ色の夕陽。
その間をつなぐのは一面の黄色い菜の花。

月と太陽と菜の花だけの世界。
宇宙、といってもいい。
宇宙を構成するのはこの三つで十分。
蕪村は天才です。

そして、近代文学で月といえば、夏目漱石のこのエピソードが思い起こされる。
漱石は小説家となる前は英文学者。東大で英語を教えていました。
さて、生徒が「I Love You.」をこう訳した。
「われ君を愛す。」
すると漱石先生、
「日本語には『愛す』なんて表現はない。『月が綺麗ですね。』とでもしておけ。」

まあ、現代でも「愛してる」なんてそうは言わない。
(言わないよね?ね?)
ましてや明治時代には「愛する」はなかなか出てこなかったでしょう。
「愛」という語の意味もまだまだ固まっていなかったんじゃないかな?
『こころ』の中では、「恋人」の意味で「愛人」という語がつかわれていたりする。
もっとも、「愛人」を特殊な意味で使うようになったのは20世紀半ばからだとか。
言葉は変化します。

漱石の『夢十夜』の第一夜、星のかけらを墓標にします。
漱石にとって、月や星はロマンティックの代表だったのかな?

さて、月にまつわるお話で、前回に続いてもう一度李白さん。
李白も蕪村や漱石に負けず劣らず月が大好きだったようです。
李白さん、あるとき船に乗って月見酒と洒落込んだ。
夜風に吹かれて、杯を傾けるのは至福の時。
「おお、よい月だ」
と夜空を眺めていたが、ふと目を落とすと、湖面にも月。
「おや、こんなところにも月が」
と、水面の月をすくい取ろうとしたそのとき、
ポチャン。
李白は湖に沈んでいった・・・

詩仙といわれた李白にはふさわしい最期かもしれません。
もしかしたら今も湖底で飲んでるのかな?

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