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林立夫さんが大切にしていること──「瞑想」と「思いやりのある音楽」

「僕が瞑想を通して学んだことは自然体で生きるということ」。日本のロック、ポップスの歴史的名盤の数々にその演奏を刻んだ伝説的なドラマーであり、現在も純粋性あふれる演奏でわたしたちを楽しませてくれる林立夫さんに、40年来実践する超越瞑想(TM)についてお話をうかがいました。

SKYEの歌詞のこと

──2021年にリリースされたSKYE(林立夫、鈴木茂、小原礼、松任谷正隆)の1stアルバムを聴かせていただきました。『東京バックビート族 林立夫自伝』(リットーミュージック刊)の中で、演奏するときにはその曲の歌詞やメロディを大切にしている、と書かれていましたが、このアルバムの中の立夫さんによる歌詞がとても素敵で感動しました。特に一曲目の『Less Is More』には瞑想されている方に共通する自然さ、自由な感覚を感じたんです。

立夫さん:わあ、それはうれしいな。

──「君の中の君と話そう 肝心なことだけ見つめよう」というのはTMをして純粋意識を体験すること、超越を体験することを指しているのかな、と思いました。そしてそれを体験すれば、あとは何が起こってもすべては良いことなんだ、というふうに解釈したのですが…

立夫さん:まったくその通りです。TMの言葉で言うと、「創造的知性の源[註1]に触れる」ということですね。なるべく軽い言葉、普通のポップソングとして聴ける言葉を使っているんですけど、言いたいことはそこです。うっかりすると重くなるから、説教くさい言葉を使うのはいやで。わかる人にわかればいいなと思っていたんですけど、そこを聴いてもらえてうれしいです。

註1:TM中に体験する純粋な意識=わたしたちの考えや創造性の源のこと。

マッシュルームカットの明るい女性

──TMを始められたのは、いつ、どのような経緯だったのですか。

立夫さん:25歳のとき、1976年とか、確かそのくらいだと思います。当時、時間に追われて仕事をしている中で、どうしても埋まらない何かというのがあって。それはお金で解決できるものではないような気もするし、毎日気持ちが落ち着かなかったんですよ。自分の椅子に座っていないような、椅子を見つけていないような感じかな。そんな時に新聞のチラシか何かで「超越瞑想」という文字を見つけて。でも「超越瞑想」ってとってもむずかしい字じゃないですか。だから受ける印象は重いし、知らない人からするとなんとも怪しい。でもそこにマハリシの名前が載っていたのを見て「ああ、ビートルズに瞑想を教えた人だ!」とわかったんです。それで「超越瞑想」というより「マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー[註2]」に関心がフォーカスされて、TMセンターに行ってみようと思ったんです。

当時のセンターは八重洲口の小さいビルにあってね。何階だっけな、「ここでもうビルはおしまいかな?」と思うその上にさらに階段で上がって行くところがあって。そこが6畳か8畳くらいの部屋で、しかも八重洲口なのに床が畳なんですよ。そこに入ったときに「やっぱり超越瞑想って怪しいんだな」って思いました。(笑)迎えてくれたのは当時の代表・久保田洋子さん。マッシュルームカットで、ものすごく明るくて、清々しい人でね。そのビル街の畳の部屋と彼女の印象のギャップがすごくて、洋子さんに興味を持ちました。そして雑談をしていたら彼女もビートルズが大好きだとわかって。洋子さんは僕とビートルズの話をしている間にもかかってきた電話に英語で対応したり、日本語で対応したりしていたんだけど、それが終わるとまたスッとビートルズの話に戻ってくるんです。その様子を見て、「この人はただ明るいというだけではなくて、すごく意識が整理されているな」と。そこから今度はTMの方に興味が出てきて、自分もTMを始めたんです。

[註2]:超越瞑想(TM)の創始者。ヴェーダの伝統に基づくTMテクニックを世界に広めた。

愛犬も、桜のつぼみも、同じように大切

──そして、実際にTMを学ばれていかがでしたか。

立夫さん:まず、疲れが取れるというところから始まりましたね。そして心が静かになって。TMをしているときは、脈拍が少なくなる、心拍数が減る、気がついたら呼吸してるのかな?死んでるのかな?と思うくらいの…静かな安らぎを感じます。…それから、僕、犬が大好きでね。当然、愛犬だから可愛いじゃないですか。その頃、レコーディングで伊豆のスタジオに行ってね。スタジオの入り口の横に桜の木があって、ちょうど桜が咲き始めたときかな。その桜のつぼみを見た時に、うちの愛犬と同じ感情が湧いてきたんですよ。それは僕にとって初めてのことで。それまでは桜は桜だと思っていた人間が、「うちの愛犬もこのつぼみも僕にとってすごく愛おしくて大切なもの」っていうふうに感じて。下では全部がくっついているのかな?とだんだん感じるようになったりね。そういう、自分の中の新発見があったり、それは新たな自分を見るようでもあるし、元の自分なのかわからないけれど、そんなことが一番最初の体験でしたね。

──とてもすばらしい体験です。

立夫さん:TMしている人はみんなそういう体験をしてるでしょう。だからTMが好きになるんでしょう。

マハリシの運転手をしたこと

──日本のオリジナルのロックを作ったミュージシャンのお一人である立夫さんが、TMについても日本に広まる初期の段階で学ばれていたということをとても興味深く感じます。

立夫さん:不思議なタイミングでしたよね。僕がTMを始めた頃は運動はまだ小さくて、みんな仲が良くて楽しかった。当時マハリシが日本のTMセンターをもっと大きくしようという目的で来日したことがあって、たまたま僕が運転手をしたんですよ。僕の車の助手席にマハリシが乗っていたんですね。それで、駐車場に車を停めて、マハリシが車を降りた後に「何か感じられるかな?」と思ってシートを触ってみたりしたけど何も感じなかったですね。(笑)そのときにとても近い距離でマハリシと接して、「使命感がすごく強いな」と感じました。そして、自分がこの先の人生をどうしたいのかと考えたときに、「目に入るものに執着するのはあまり大切なことじゃないのかな」と思ったんですね。その思いはそのときからだんだんはっきりしていきました。

社会人には経済活動が必要ですよね。だから仕事をするんですけど、でももっと大切なこと、つまり『自分を生きる』ということを真剣に考えれば考えるほど、言葉は乱暴ですけど、「仕事なんかしている暇はないな」という考えがどんどん強くなって。それで僕はTMの教師を目指したんですね。6ヶ月間スイスでおこなわれる教師養成コースに行こうと思ったんです。でも、行くのには費用がかかるし、留守にしている間に当然今の仕事のポジションは無くなるだろうし、「ここで経済活動を断ち切らないといけないのかな?」という思いもありました。スイスに行くつもりでいたその頃、仕事でスタジオに行くときには車で迎えに来てもらっていたんだけど、ある日、迎えの車に乗ろうとしたら僕の脇を黄色いスポーツカーがぶわーっと走ってきてね。それで、その車が走り去るのを見ながら「何の車だろう、かっこいいな」と思っている自分に気がついたんです。そのときに、「だめだ、いまスイスに行ったら後悔するな」と思って。それで、教師になること以外の形でTMで体験したものを体現していこうと思ったんですね。

余計なことをせずに心地良さを維持する

──TMの教師を目指されたていたとはおどろきです。ミュージシャンというお仕事はご自分が発する音を通して純粋性やよろこびを広げていくことができると思うのですが、音楽活動の中で瞑想の効果を感じることはありますか。

立夫さん:どうでしょうね。直接的というよりも、音楽に向かう意識の持ち方に影響があるんじゃないかと思いますね。自分のプレイを客観的に見たときに、ドラムと関わって長い時間が経てば経つほど、どんどん削ぎ落とされて余計なことをしなくなっているんです。昨日もSKYEのレコーディングで、まだ余計なことをしているときもあるんですけど。つまり、どれだけ何もしないで、余計なことをしないで、ずーっと心地良さを維持できるか、僕はそれが最高のレベルだと思っているんだけど、最近そこに少し行けるようになったのは、TMの影響の一つかもしれないです。

──自伝に収録されている沼澤尚さんとの対談の中で、「立夫さんの判断から動作までのスピード感がすごい」というお話がありました。そのあたりはTMの影響は感じられますか。

立夫さん:直接的にはわからないですね。意識は自分の元になっているもので、それが音楽の形で表現されていくわけですよね。だからTMと表現されたものが関係ないことはあり得ないし、つながっていると思います。スタイルとか演奏方法は表面化されているもので、曲によっても季節によっても変化するものだと思いますよ。やりたいことが明確であればあるほど迷いがなくなるので、結果的にはスピード感とか判断も早くなりますよね。

「思いやりのある音楽をやろう」

──もう一つ自伝からになりますが、立夫さんの書かれた『思いやりのある音楽』という言葉がとても印象的でした。

立夫さん:レコーディングやライブの前に、家を出る前には必ず自分に「思いやりのある音楽をやろう」と言ってから出るんです。本番になってあがっちゃったり、他のことを考えて忘れちゃったりするときもあるんですけどね。でも、できるだけその気持ちはキープしようと思っているんです。それはなぜかと言うと、”For Me” “For You”という言葉があるとしたら、僕はやっぱり音楽は “For You”の気持ちでやりたいし、やるべきものだと思っているんです。”For Me” の気持ちで音楽をやると、たとえば僕の担当はドラムですけど、ドラムのためにドラムをやる音楽になってしまう。僕は音楽のためにドラムをやりたいな、と。そうすると『音楽』が僕からすると “For You”なわけです。そういうことなんです『思いやりのある音楽』って。

──立夫さんの演奏が与えてくれる心地良さの元はここにあるのかな、と感じました。最後に、TMを40年以上実践されていかがですか。また、お友達にTMをすすめるとしたら何とおっしゃいますか。

立夫さん:ある時期、TMを忘れてやらなかったときがあったんですけど、またやりはじめたときに自分に起きた変化が大きくて。TMをしていなかった時期は、いわゆる粗雑なレベルっていうのかな、良くない意味でのざっくり感というのがあったことに気がついたんです。対人関係やものに対してもそうだし、ご飯を食べるときも、ただ腹一杯になればいいというのとゆっくり楽しむのとではちがうでしょう。そういう、日常生活を楽しむじゃないですけど、TMをすると具体的にその瞬間その瞬間が充実していくんだな、ということが確認できて、それからはずっとやっています。当たり前に、呼吸するみたいに、「毎日するもの」になりました。「やらなければいけない」と思っているのではなくてね。TMを外すことはできないですね。必ずやります。

TMの良いところっていうのは、まず、心が落ち着きますね。心が落ち着いて、今度は迷いがなくなりますね。迷いがなくなるとぶれなくなりますね。ぶれなくなると、自分のやりたいこと、やるべきことが明確になってきます。ぜひ、おすすめします。

林立夫(はやし・たつお)
1951年5月21日生まれ、東京都出身。12才から兄の影響でドラムを始める。1972年より細野晴臣、鈴木茂、松任谷正隆とキャラメル・ママで活動を開始。その後、ティン・パン・アレーと改名し、荒井由実、南佳孝、吉田美奈子、いしだあゆみ、大瀧詠一、矢野顕子、小坂忠、雪村いずみ等の作品に携わる。70年代後半から、パラシュート、アラゴンなどのバンドで活躍するが、80年代半ばに音楽活動休止。96年、荒井由実 The Concert with old Friends で活動再開。99年から始まったイベント「GROOVE DYNASTY」の企画・プロデュースを担当。2000年には25年ぶりに細野晴臣、鈴木茂「TIN PAN」結成。2002年、音楽レーベル<SOFT EDGE>を設立。2005年、自ら選曲/監修したコンピレーション・アルバム『Non Vintage~林立夫セレクション』をリリース。2015年、ドラマー沼澤尚と共に高橋幸宏、鈴木茂、他が参加するカヴァー・ユニット「AFTER SCHOOL
HANGOUT」を結成。現在は大貫妙子、矢野顕子、尾崎亜美、等の作品・ツアーに参加。2020年2月21日に初の書籍「東京バックビート族 林立夫自伝」を発売。2021年10月、SKYE(鈴木茂・小原礼・林立夫・松任谷正隆)として、デビューアルバム『SKYE』をリリース。
https://columbia.jp/betterdays/skye/