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青と白に包まれて

白樺の木を見るとなぜか安心する。

焦茶色の樹皮を纏う木々が生い茂る中、白い幹は一際目立つ。

下界にはない木々を見ることで、自分は今都市から離れて、包まれた森の中にいるのだと確かめられる。


白樺と出会ったのは2023年9月に訪れた、ヘルシンキ郊外のヌークシオ国立公園が最初だった。

木々がのびのびと枝を伸ばすように、人もまた自然の恵みをめいいっぱい享受している。

人の生活と自然が切り離されることなく、自然な形で密接に繋がっている。

そんな環境で白樺が象徴的に根を張っていたから、僕はこの白い木に強く惹かれているのだろう。


低山以外の山に来るのは、スイス滞在中以来のことだった。

最後に見たのは雪の被ったベルナーオーバーラントの三山。

グリンデルヴァルトからインターラーケン方向に戻るとき、最後に見えるアイガーの姿をとても懐かしく思う。

ツェルマットから戻る時に最後まで見えるクライネ・マッターホルン。

トゥーン湖の上からシュピーツ付近で見える、綺麗な二等辺三角形の形をしたニーゼン。

リギから見た、雲海の上に浮かぶ魔の山ピラトゥス。

数珠繋ぎに最後の冬の記憶が蘇ってくる。

時々思い出さないと、あの国で過ごした記憶が溶けていきそうで怖くなる。


日本に戻ってきてからは東京と埼玉の低山くらいにしか行ってなかった。

1ヶ月前に少し左足に疲労骨折か足底腱膜炎のような痛みを感じたから、この1ヶ月は山にすら行ってなかった。

本屋に通い、映画館に通い、美術館に通う。

久しぶりの自分の好きな情報にアクセスできる環境で、東京の利点を享受していた。

いや、東京の利点を享受しすぎていた。


多分僕は今また道に迷っている。


世界はその際や深みで青みを帯びる。この青は迷子になった光の色だ。スペクトルの青側の端に位置する光は、大気や水の分子によって散乱するために太陽からわたしたちのところまで真っすぎには届かない。……現実でないような、憂いをたたえた、はるかな見通しのいちばん先に見える青。隔たりの青。わたしたちまで届くことなく、その旅路をまっとうできなかった迷ってしまった光。この世に美を添えるのはその光だ。世界は青の色に包まれている。

レベッカ・ソルニット『迷うことについて』


ちょうど梅雨が明けかけた乗鞍。

雲と雨に囲まれて日中は大体いつも白く霞んでいた。

乗鞍岳も僕にほとんど顔を見せてくれなかった。

白が森を支配する中、青は乗鞍の川や池にいた。

上高地の方からきた梓川に合流し、やがて犀川、信濃川となって日本海に注ぐこの青が、僕に道を外れていることを囁いてくれた。


どこか名前のつく場所にいなくていい。

さまざまなグラデーションの中で、自分のいたい場所に漂っていればいい。

そのことを理解したつもりなのに、また僕は都市の勢いに流されて場所を見失っていた。

自然を前に人が平等にする環境に久しぶりに来て、外面的な肩書きや年齢に頼りながらコミュニケーションをとっていたことを痛感した。

あいだに所属を求めるということは、常に自分の現在地が合っているのか確かめ続けるということなのだと、改めてそう思った。


最初は壁を築いていた自分も、乗鞍で時を過ごしていくうちに段々と溶けていった。

この豊かな森も、確実に自分の一部になっていく。

また一つ自分の帰ることのできる場所が増えた。

白樺の木々を前に、僕はそう確信できた。


緑の芽吹く春が終わり、入道雲が空を覆う季節が始まりつつある今日この頃。

北アルプスの涼しい風が僕の中へと吹き込んでいった。


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