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時間は作るものだなんてカッコいいことは言えないけれど

ひとりぼっちは苦手だけど、ひとりの時間がないとダメなタイプ。
なんともわがままな性質だ。

香りのいいコーヒーを飲んでとか、見晴らしのいい場所に行ってとか、美術館で絵画にふれてとか、そんなにすごいものは望まない。なんならコンビニのドリップコーヒーを買って、いつものスーパーの駐車場で、中古の愛車に乗ったままボーッと過ごす時間、それだけでいい。それをとにかくたくさん手に入れたい。


実家が近く、妹家族もすぐそばにいる。そんな環境がとてもありがたいことだとずっと思っていた。仕事のあと終電で帰っても息子は食事を終えて眠っていたし、翌日の授業までに用意するようにと言われたノートもきちんと揃っていた。私の不規則さとは裏腹に子供の正しい生活はいつだって保障されていた。

年上の姪のおかげでおとなしかった息子はよく笑うようになった。習っていない元素記号も覚えはじめ、2人のおしゃべりに時々混ざっていた英単語はどんどん増えていった。お世話になりっぱなしで申し訳ないけど、いいことばかりじゃないか。私は最低限の子育てと仕事のバランスを取りながら、まあまあいいお母さんというラベルを自分に貼ることができた。

だから無理をしたんだと思う。

テレワークが始まった時、できるだけお返しをしようと私は大きく背伸びをしてしまった。父が病で他界し、その時の介護で腰を痛めた母は重い荷物を持って歩くのが難しい。側にいるからと今まで妹に任せていた買い出しや家事のフォローを早速分けることにした。

最初は順調だった。どうせまたすぐ会社に戻るのだからという精神的余裕もあったのだろう。仕事は翌朝までにあげればいい、時間は作れるんだから自分がやればいいんだ。私はいつもニコニコしている娘であり、姉であり、お母さんだった。


バランスが崩れたのは季節がふたつ進んだ頃だ。月の収入は出社時の半分にも満たなくなったというのに、デザイン事務所の外部スタッフとして関わっていた私は個人事業主と認められず給付金がもらえないらしい。小学校が休みになった時の保証はあるみたいだよとママ友から聞き、救済措置に申請した。その頃、会社では同僚たちが離れていてもできる作業を必死に探してくれていたけれど、もともとがチーム作業、限界があることは私にもわかる。今までのように働けない焦りだけが少しずつ溜まっていった。

頼むのは申し訳ないんだけどと打診されたクリエイティブではない作業、それもありがたく引き受けることにした。この期に及んでやり甲斐などと言える立場ではない。それでも、下積み時代に卒業したはずの作業に時間を割いている自分が悲しくて、今だけだからと呟きながらたまに入ってくる前線のお手伝いを待ち続けた。


母、妹、私、3人の主婦。
血が繋がっているとはいえお互いに歩んできた道が違うのだからやり方が異なるのは当然だ。わかっているはずなのに、今まで見えていなかった違いに私は混乱した。時間をかけるところも大切にすることも違う。小さなことだけれど、例えば冷蔵庫の使い方ひとつを取っても嘘みたいに差があった。

「冷凍にしておいた食材があるのになんでこっちから使っちゃうの?」
「これ作って入れておいたって言ったでしょ、無駄にしないでよ」
「どうせ取っておいても使いきれないと思ったから処分したんだよ」

頼まれたわけではない、勝手にやったことがきちんと伝わらなかっただけ。何もかもがイライラのもとになってしまう私に、次は母と妹が疲れはじめた。腫れ物に触るように接してくる2人に苛立ちはますます募っていく。

ダメだ、こんなはずじゃない。手伝いたいだけなのに。ちゃんと感謝しているのに。


収入を得るための細かい仕事が増え、曜日も時間もグチャグチャになると、日常が見える場所で作業をするのが一層辛くなってくる。納期は今夜なのになぜ明朝の古紙回収が気になってしまうんだろう。なぜ隅っこのホコリを見つけてしまった?

決まった曜日に出社し、終電で帰ってきていた時の方が疲れなかった。自分の時間があったと実感するのはこんな時だ。通勤電車の中で、職場近くのコーヒーショップで 、私はひとりを手に入れていた。noteも読めた。もちろん書けた。それがどうだ、今日こそはと思いながら寝落ちする日が続いている。




メールが届いたのはそんな時だった。

思いがけない入賞のお知らせ。応募したことを忘れかけていた私は、事もあろうにそのメールが詐欺なのではないかと疑ってしまった。友人がFBを乗っ取られた時、フィッシング詐欺に追いかけられた恐ろしさが頭から抜けず、何もかも疑うクセがついてしまったのだ。

発信元のアドレスを確認し、恐る恐る返事をする。その後、やりとりをしていくうちに少しずつ喜びが込み上げてきた。あのnoteに目を留めてもらえたんだ。

匿名でnoteを始めた私には、近くに入賞を報告できる相手がいない。時間を追うおごとに沸き上がってくる嬉しさをひとりでただ噛みしめた。

コーヒーを買ったコンビニの、食材を買ったスーパーの、消耗品を買ったドラッグストアの、除草剤を買ったホームセンターの、広い駐車場の片隅で何日もかけて綴った言葉。締め切り最終日にやっと間に合ったあの記事。

1通のメールは私に、自分のペースでいいということを思い出させてくれた。

時間は作るものだなんてカッコいいことは言えないけれど、
つぎはぎだらけの時間だってちゃんと未来に繋がっている。

そんな思いを胸に、これからも書いていこうと思う。
ほんの少しの無理をしながら。



入賞を知った日、食材の買い出し帰りに家族全員分のケーキを買った。偶然にも今月は母と妹の誕生日がある。不思議そうにするみんなにはバースデー月間だからと笑っておいた。

選んだのはフレッシュな桃がたっぷりサンドされた生ショート。ふわふわのスポンジを口に運びながら、心でそっと自分を褒めた。

「頑張ったね私、入賞おめでとう」



***


発表当日、記事をシェアして祝ってくれた方、
サポートとともにやさしい言葉を添えてくれた方、
直接お祝いコメントを届けてくれた方、
そっとスキを押してくれた方、

ひとりで噛みしめていた喜びが何倍にもふくらんだのは
みなさんのリアクションのおかげです。

内容がセンシティブなものだと自覚していたので不安もありましたが、
障害をお持ちの方からの言葉はとてもあたたかく安堵しました。
いくつかのメッセージには「要約筆記」を初めて知ったと
書かれており、思い切って投稿してよかったと思うこともできました。

講座はさらに専門的な内容に進み、
今は健聴者の講師へとバトンが渡されています。
毎回ついていくのが精一杯ですが出来る限りやってみようと思います。


読んでくださったみなさま、
選んでくださった担当者さま、
本当にありがとうございました。

心からの感謝を込めて。

suzuco







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