論理思考 意味がないワクチンパスポートと、マイナンバーへのひも付けの欠陥
ワクチンの論理思考については過去に書いてきました。
論理そのものが何かわからない方は、さらにこちらを一度お読みください。
ワクチンパスポートは論理的に意味がない
ワクチンパスポートは、論理的に意味がないことを説明します。
命題:
ワクチンを接種した人は、他者に感染させない → 偽
ワクチンを接種した人は、自ら感染しない → 偽
では具体的に考えていきましょう。
ワクチンパスポートを所持していることが入店条件である100席の飲食店があったとします。 店内にはワクチンを接種した客だけが100名集まることになります。 しかし上記の命題により、ワクチンを接種していようが、店内の他の客に感染させてしまいます。 また、自分が感染していなくても、他の客から感染させられてしまいます。
同様に、1,000人規模のイベント会場や20,000人規模のコンサート会場でも同じことがいえます。
さて、
ワクチンを接種した人は、自ら重症化しにくい
もしこの命題が真だとしたら、感染させたり、感染させられたりしても大丈夫な人だけが集まっているわけだから、そこがワクチンパスポートの意義だと主張するかもしれません。
しかし、ちょっと待ってください。
100席規模の飲食店、1,000人規模や20,000人規模の会場の中の話で終わらせて良いのでしょうか?
この店や会場での飲食や行事終えた後に、まとまった人々が店や会場の外へ流れ出ます。 店や会場の外には、接種しているかどうかがわからない、ワクチンパスポートの携帯が必要ない人々がたくさんいます。感染させたり感染させられたりしても大丈夫な人が、店や会場で感染を広めた後に、まとまって外の人にまとまって接触することになります。
そこで、店や会場の外の人も接種していれば良いじゃないか、接種しない方が悪いと主張するかもしれません。しかしこの論理だと、店や会場の中の人も接種が前提、店や会場の外の人も接種が前提となります。店や会場の中も外も接種しているのであれば、そもそもワクチンパスポート(誰が誰に見せて接種を証明するのか)自体が無意味です。 店や会場の中や外においても、ほとんどの人が接種しているべきで、ワクチンパスポートを所持しているべきという主張になります。
これは全体主義です。
ワクチンパスポートの要件定義が破綻している
デジタルのワクチンパスポートのシステムは、IT技術によってプログラムされます。プログラミングでは、論理的に厳密な要件定義が必要です。しかし開発会社や技術者は、ワクチンパスポートの論理自体が破綻しているものをシステムとして構築していることになります。
このように論理破綻を起こしているシステムを構築しても、役に立たず、開発費用の無駄遣いになります。
Aならば、Bである
Bならば、CまたはDである
Aが間違っていれば、Bも当然に間違っています。
間違ったBに対応したCやDも、さらに間違っています。
政府はマイナンバーにワクチンパスポートを紐付けしようとしている
政府は、この要件定義で論理破綻しているシステムを、マイナンバーに紐付けようとしています。 驚くことに、マイナンバーを扱っているすべての人が論理思考ができておらず、誤りに気がついていないことを意味します。 これは重大な人的インシデントと言わざるを得ません。
国際社会はワクチンパスポートを標準化しようとしている
1つの国の中ではなく、さらに範囲を世界に世界に広げて考えたとしても、WHOなどの国際機関も論理破綻していることになります。
まとめ
ワクチンを接種しても、他者に感染させ、自ら感染する
この証明書が有効であるためには、限りなく全ての人が接種していることのように思えるが、その状況下ではなおさら証明書を所持している意味がない。証明書は非接種者が一定以上いるときに存在意義が少しある程度
持病や宗教上の理由からほぼ限りなく全ての人が接種することは困難であり、全ての人に接種を期待するのは全体主義の思想
限りなく全ての人が接種することを期待しているのは、集団免疫という概念すら考慮されていない
この論理破綻したワクチンパスポートをマイナンバーに紐づける意味がない
ワクチンパスポートからマイナンバーのシステムに携わる人全てが論理思考ができていない
日本国内の議員、官僚、公務員なども論理を理解していない
国際社会も論理破綻している
それでも進める理由がなんなのか?