-実は「話す」ということは-
いやーー昨日は久しぶりに飲みました。このところ自宅にこもってばかりで、人と一緒に飲むということも数ヶ月ぶりかもしれません。
たくさん話しました、その場で知らない人とも仲良くなり、名刺交換までしました。おまけに仕事ももらえそうです。たまに飲むって素晴らしーい!
こういったことができるのも、お互いにコミュニケーションがとれているからなんだなと。
人と会って話を聞いて飲むということは、人間がこの地上に誕生し、言語を習得してから古来から脈々と行われている営みであり、この人と一緒に酒を交わすという営みが一時的にでも中断することが、あるなんて思いもしなかったです。
人は基本的に寝る・食べるそして以外と忘れがちなこととして、話すことがベースだと思います。
話すという行為は、自分との対話もさることながら、人がいてこそ成り立つ。人がいるからこそ、話そうという選択肢があり、話す。
一時期、僕の中で人がいても話すということができない時期があり、とてもフラストレーションがたまり、話せないことへのもどかしさを感じていることがありました。
5年前フランスで住むことになったものの、フランス語の勉強もしたこともない状態で、フランスに住むことになりました。当然、人とコミュニケーションがとれず、とてもフラストレーションがたまり、街にはたくさんの人がいるものの、なぜか孤独を感じる状態でした。
そんなこともあり、日常生活で何気なく話しているけれども、この話すということはお互いに意味がわかる共通言語で話しているから伝わるものなんだなと。
話せるということは尊いことである。
そんなことを久しぶりに飲み、若干二日酔いの土曜日の朝に思いました。
んーまとまりのない文章だ、それではごきげんよう!
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