本は向うからやってくる 見えない世界のワンダーランド(13)
私は本好きで、見えていた時にはよく書店に行って本を見ながら歩き回るのが好きでした。
本屋さんの書棚の間を歩いていると、ふとある本と「目が合う」ことがよくありました。これは本好きな人なら誰でも経験があると思います。
そんな時、本棚の中のある本の背表紙だけがなんとなく少し光っているように見えました。
思わず目をとめて手に取って読んでみると、そんな本はたいてい自分にとっての「掘り出し物」だったりするのでした。
そんな「本との偶然の出会い」がたまに起こることも書店に行く楽しみの一つでした。
目が見えなくなって、何より残念だったのは書店で歩き回ることがなくなったことです。目が見えなくなると「本と目が合う」という書店ならではの楽しみも味わえなくなってしまうからです。
私は難病で目が見えなくなっていった時、「自分はもう本を読むことができなくなるのかも」と思いました。
私は点字というものは知っていたものの、読む練習はしたことがなく、当時は全く、点字を読むことはできませんでした(今でもあまり読めません)。
目が見えなくなったら読書は点字に頼るしかなく、自分が点字の本をスラスラ読めるようになるとはとても思えなかったからです。
でも、やがてボランティアさんが朗読した音声をCDにしたものが図書館から借りられることを知りました。その時から私は目で読む読書から、耳で聴く読書をするようになりました。
それから約20年がたちました。
今では視覚障害者のためのオンライン図書館「サピエ」から図書の音声データがネット経由で読めるようになり、「オーディブル」などの有料の朗読音声サービスも出てきて、見えない私の読書環境はとても便利になりました。
それでも、私はかつて経験していた「本との偶然の出会い」がなくなってしまったことを残念に思っていました。
視覚を失った私にとって、手の届かないところに並べられた本と「目が合う」ことはもはや不可能になったからです。
もし私に「本の声」が聞こえる能力でもあれば、書店や図書館を歩き回るのはちょっとわくわくする体験だったことでしょう。それができたら、沢山の本がつぶやく声の中から、自分に語りかける本の声を探し出すこともできたかもしれません(笑)。
でも、耳で聞く読書の生活を続けてゆくうちに、やがて私は目が見えなくても「本との偶然の出会い」が可能だということに気づきました。
私は見えなくなってから、パソコンの視覚障害者用の読書ソフトを使うようになりました。これを使えばオンライン図書館「サピエ」の所蔵図書を、タイトルや著者名で検索し、ダウンロードすることができるからです。
例えばタイトルで「盲導犬」というキーワードで検索すると署名に「盲導犬」という言葉が含まれる図書リストが表示されます。
私はこの検索をよくやるのですが、ある時、図書の検索結果のリストをチェックしていて、
「あれ、このキーワードでどうしてこの本がリストにあるの?」
と思うような、明らかに場違いな感じの本が混じることがあると気づきました。
それはまるである特定の魚の漁で網に入った同じ魚たちの中に明らかに種類が違う魚が紛れ込んでいるような感じなのでした。
でも不思議なことに、しばしばそんな場違いの本の中に、それまであまり読んでいなかったジャンルや著者のすごくおもしろい本が見つかるのでした(笑)。
それ以来私は、頭にふと何かキーワードが浮かんだら、すぐに読書ソフトで検索をしてみるようになりました。
それはまるで、ネットの広大な海の中に方向を定めて網を投げて、その網に引っかかる本の仲から掘り出し物を見つけ出すようなものです。
こうして私は目のかわりに耳を使った「本との偶然の出会い」の方法を見つけたのでした。
目が見えなくなった時、私はもう本が読めなくなる、と思い、音声で本をよむようになってからは「本との偶然の出会い」がない、と思いました。
でもそれは、かつて見えていた私がずっと頼ってきた「目を使う」ということに縛られていたからなのだな、と今は思います。
本好きの私にとって、本は出会うことになっている人に読まれようとしてなんとかその人のそばに来ようとしているのだ、と思っています。
私が見えていた時には背表紙が光ってそれを知らせてくれましたが、今はネットのデジタルの海の中を私に向かってなんとか近づいて、私に見つけられるのを待っているのだと思います(笑)。
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