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中学の時に受けた国語の授業で感じたクソガキの意見

中学の時の授業で物体っていうのは重なり合って同じ場所にいられないという話を聞いたような気がする。例えば手のひらの上に鉛筆は置けるけど鉛筆がすり抜けて手と重なって同じ場所にはいられないといった感じだ。
だけどその授業では「何かを食べたときつまり胃の中になにか入ったときはその食べ物と私は同じ地点にいられるという話をされた。だけどその食べ物はいつかは消化されてなくなってしまうので永遠に同じ場所に違うものがいられることはできない」という話をした。
この話を聞いたとき私はそうではないと考えた。それは別に永久に何かとなにかが重なり合っていられるというふうな話ではなくこの授業でした考え方について違うと思ったのだ。
授業では何かを食べたときその食べ物と私は同じ地点にいられるという話を聞いたとき私は「その食べ物と私は完璧に同じ地点にいるわけではない」と思った。
こんなことを言えば論点はそこではないと言われそうだが私はその時これしか頭になかった。
こう思った訳を話す。まず1つは食べ物と私が同じ地点にいられるのは私に胃があるからであるから完璧な重なり合いというのは出来ていないということだ。私が食べ物を食べると胃の中に入って私と同じ地点にその食べ物は存在できる。だけど私に胃がなかったら?そうなれば食べ物は私と同じ地点に存在できない。だからこの文章の考え方は間違ってると思った。
そして次に座標がただおなじだけだと思った。私と食べ物が同じ地点にいられたとしてもただ座標が同じだけだ。別に私と食べ物が重なり合って存在してるわけじゃない。それにさっき言った通り胃がなければ同じ地点にいるのとすらできない。だからこの文章の考え方は間違っていて表現の仕方として間違っていると感じた。
今思うと私は相当なクソがキッズだったと感じざる負えない。私はこれをその時教室の後ろの方にいた教育実習生の先生にしか話さなかったがこんなことをその授業をしていた先生や周りにいっていたら多分周りはちょっと変なやつだと思っていたことだろう。
以上が私が過去に受けて印象に残っていた授業の話だ。
ご清読ありがとうございました。

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